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蒲生干潟を見つめ続けて(前編)夜の蒲生へ

コラム

宮城県仙台市の蒲生干潟を見つめ続けている人たちがいる。

「蒲生を守る会」。

約45年間、渡り鳥や水棲生物、植物など、干潟の”自然”を毎月調査し続けている。その間、開発工事、震災、防潮堤の建設と、干潟をめぐる状況は時代とともに変化してきた。その様子を見つめ続ける「守る会」の熊谷佳二さんに、話をうかがった。

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例えばNPO、例えばソーシャルイノベーション。もしくはコミュニティ形成。
そういった活動や団体が、ここ10年くらいでとても増えた。
この3710 Lab もそうだし、別でやっているSYNAPSEもそうだ。そういったものに専念している人もいれば、何か仕事を持ちながらライフワークとして活動をしている人も多いだろう。僕もそういう類の人間になるだろうか。

僕は、そういった二足のわらじを40年ほど前から履いている人を知っていた。こういった、2000年代の潮流の、はるか前からだ。
3710Labの活動を始めた当初から、その人のところへ取材に行こうと決めていたが、いつのまにか時間が経ってしまった。

年が明けて2016年になった頃、僕の生まれ故郷の地方紙で、その人の活動が取り上げられていた。

宮城県仙台市にある蒲生干潟。その干潟の生態系を見つめ続けている「蒲生を守る会」というものがある。実は、その中心人物の一人、熊谷佳二さんは、僕の高校三年の時の担任であり、生物の担当教諭であった。当時から、そういった活動をしていることは知っていたが、むしろ大学院に進んだあと、ネットの記事などでよく見るようになった。

長年の調査実績から、東日本大震災以降の蒲生干潟の変化と回復を、これまでのデータと比較しながら伝えてきた「守る会」。防潮堤の建設計画に対しても、生態系を考慮した提言をつづけ、干潟をギリギリ守れるような計画に変更することが叶った。

ネットを検索し、本当に熊谷先生にたどり着くのか多少心もとない古風なホームページ上の連絡先にメールを送り、アポをとった。

数回の連絡の後、思った以上に濃厚な、春の蒲生の魅力を最大限味わうことができる取材プランを提案してもらった。

まずは2016年4月23日(土)。春の大潮の時期にあたるため、ゴカイの生殖群泳が見られるかもしれないという。翌24日(日)は、ちょうど月に一度行われている定期鳥類調査の日のため、それに同行することになった。


この記事の視点について

このコラムは、前後編である。前編(この記事)は23日(土)の夕方、熊谷先生の現在の勤務先である宮城野高校で、活動についての説明を受けた後、夜の蒲生干潟でゴカイの観察を行ったもの(映像あり)。後編は、24日(日)日中の鳥類調査。蒲生の表情の全体像を、写真とともにお伝えしたい。

企画当初は、この記事をインタビュー記事、もしくは調査会のレポート記事にしようと考えていた。しかし、あえて、筆者の主観を多分に交えた、回顧録的コラムにすることにした。その理由は、僕自身が、蒲生の風景に、主観的にのめり込み過ぎてしまったこと。客観視しようにも、蒲生を守る会の人たちと比べ、その経験・歴史の違いから、蒲生を見つめる解像度が低すぎて、理解できていないことが多すぎると思えて仕方がなかったからだ。一度訪れた程度で、客観視できると思う方がおこがましい。そう感じてしまったのだ。

反面、この蒲生というところは、初めて行った人でも、それぞれの視点から楽しめるし、発見があるところだとも思った。どこを覗いても、発見がある。つまりそれは、自然保護とか、保全活動とか、生物学とか、そういうことに詳しくない人間でも、おそらく、心に響いてしまう風景だと思えた、ということだ。自然や文化、政治、経済、震災、様々な文脈や想いが交差する。そんな場所に思えた。そこで、今回は、そういった一つの視点として、僕の目に映った風景に対し、熊谷先生らから聞いたことを付記して、僕なりにこの蒲生の魅力というものを書き残してみたい。そのように思っている。特に後半からは、文章は写真にコメントを添える程度にして、その風景から、いろいろ感じ取ってみて欲しいと思っている。


高校教諭として

4月23日、当日。

熊谷先生は、校門まで出迎えに来てくれた。大学院進学を報告したとき以来、9年ぶりの再会だった。その時は、まだ僕の母校に勤務していたが、今は宮城野高校に異動し、昨年度定年を迎え、今年度も継続して同じ高校で教鞭をとっている。

はじめに生物学実習室に案内され、話を伺うことになった。

生物学研究者である僕としては、まず、その実習室の風景に驚いた。植物を培養するためのインキュベータ、カールツァイスの顕微鏡、クリーンベンチ。高校生が使うには、多少難しい、大学で行うような実験向きの機材が幾つかある。

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選択科目を受講した生徒が、実験を体験しているらしい。テーマも先生と生徒が話し合い、ある程度興味関心に合わせて決めているそうだ。

他にも、環境調査を自らの手で行いたいという地域の人たちにも、機材や場所を提供することがあるらしい。僕は常々、大学もそういう場として、社会において機能してはどうかと思っているが、確かに、その数や立地からしても、高校の方がよほど地域というものに根ざしている。理想的なアウトリーチの形に思える。

しかし、昨今の学校というものは、期間内にカリキュラムをこなすことで忙しく、学生のための自主的な実験活動や地域との交流に時間を割くことが難しいそうだ。また、近年は特に、セキュリティも厳しく、大学ほど敷地に自由に出入りできるものではない。そのような事情から、専門性を活かしてフレキシブルに活動するような教師もあまり多くはないようだ。


活動のきっかけについて

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熊谷先生は1974年(昭和49年)、東北大学理学部生物学科に入学する。そこで出会った長野県出身の友人に誘われ、大学2年生の二十歳の頃に、当時発足したてだった「東北大学野鳥の会」や「蒲生を守る会(1970年4月23日結成)」に出入りするようになったそうだ。小さい頃から図鑑を見るのが好きだった熊谷先生は、図鑑の中の動物や植物を実際に見ることができる生態学の研究室に入り、卒業研究を経て修士課程まで進んだ。宮城県の高校教諭になった熊谷先生は、その後も守る会の活動を続けたが、他の仲間の多くは就職などで県外に移って行ったため、いつのまにか主要メンバとして長年活動を続けることになったそうだ。言わば「成り行き」と本人は語る。


干潟というもの

干潟とは、満潮時に海水に浸かり、干潮時に露わになる砂や泥の低湿地である。

熊谷先生の修士課程の研究は、この干潟を実験室に再現し、干潟やそこに棲まう生物と環境の関係を研究するものだった。実験室に作られた人工干潟の中で、熊谷先生はゴカイを飼っていたそうだが、あるとき、ゴカイの糞のせいで人工干潟の排水溝が目詰まりしてしまったそうだ。実際の干潟では、そんなことは起きない。干潟には、様々な有機物が分解され、循環する生態系が存在する。川から流れてくる水も干潟を通るわけだが、陸と海の間に位置する干潟は、それらをつなぐ浄化槽として機能している。このような自然の機能を生態系サービスと呼ぶそうだ。多くの干潟が開発によって失われたが、それが赤潮の一因ともなっている。

余談だが、以前、SYNAPSEのイベントで講師をしてくださった高槻成紀先生は、大学院時代の先輩にあたり、干潟の調査に関しても協力関係にあるそうだ。このHPでコラムを執筆しているアーティスト・AKI INOMATA の制作に協力している大越健嗣先生とも、干潟の調査を通じて長い付き合いらしい。色々と繋がっている。

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蒲生干潟へ

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元祖日本一低い山として知られる日和山。一時その座を明け渡したが震災時の津波で標高が下がり、再び日本一低い山とされている。

ゴカイの生殖群泳は暗くなってから起こるので、まだ日があるうちに少し干潟を案内してもらった。

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震災直後、干潟の生態系は大撹乱を受け、「沈黙の干潟」と化した。熊谷先生らは震災の約2週間後から調査を始めた。当初の被害状況のひどさに反して、干潟は予想以上の早さで回復しいったという。もちろん、まだまだ失われたままのものもあるが、干潟は着実に回復している。

震災後の変遷。シンポジウム「干潟と防潮堤」資料より。

震災後の変遷。シンポジウム「干潟と防潮堤」資料より。

震災後、めずらしい植物が増えたという例もある。

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こちらは、ハママツナ。かじると塩辛く、葉に塩分を蓄えている塩生植物。希少種だ。たいていは、生態系の変遷の過程で、他の植物に取って代わられるが、震災後には増えていた。

ハママツナは、自然による撹乱に強く、一旦ハママツナが生えた後、他の植物が増えるという遷移をするそうだ。

「もともと、海岸の植物は自然による撹乱に強いんですよね。人間による撹乱には弱いのだけれども」

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こちらの防潮堤は、震災の1年前に造られたもの。網は、陸地から干潟に産卵にやってくるカニが、防潮堤を越えられるようにかけたものだそうだ。

「干潟と陸地との間が分断されてしまうと、致命的なダメージを受ける生物も多いんです」

その防潮堤の一部は、津波で壊れていた。

その防潮堤の一部は、津波で壊れていた。

「このくるみ、なんで割れてるか、わかります?」

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「カラスが上から落として割ってるみたいなんですよ」

熊谷先生に色々と案内してもらっているうちに、辺りが暗くなってきた。

18時。いよいよ。ゴカイの生殖群泳の現場を探しに向かう。一旦、守る会の他のメンバの人たちとも合流し、真っ暗になった海岸を、懐中電灯とカメラを片手に歩く。過去の経験から、場所はおおよそ見当がついているらしい。しかし、今日見られるかどうかは、運次第だ。ゴカイは満月の大潮の日の夜に、いっせいに海岸近くの海に巣から飛び出し、オス・メス入り乱れて泳ぐのだそうだ。そのうち、オスの体がちぎれ、そこから精子が放出し、受精するらしい。同じ時に群泳し生殖活動を行うことで、繁殖確率を高めているのだろう。

ライト片手に、皆が海を凝視する。
なかなか、ゴカイは現れない。

途中、カニを見つけて観察などをする。

しかし、ゴカイは見つからない。
今日は、見つけられないのだろうか。

見つけられたとしても、1-2匹で泳いでいるものだけ。
夜が深ければ増えてくるのではと期待し、おのおの、あたりをいったりきたりする。

そのとき、同行していた3710Labメンバの田口が「おー、いるいる!!」と叫び出す。確かに、少し数が多い。

さらに、徐々にあちこちで、群れと呼んで良いような数のゴカイが泳ぎだす。定かではないが、我々のライトに引き寄せられているようにも見える。

(途中、フグも現れる)

生殖までは目の当たりにできなかったが、群泳を見ることはできた、と言っても良いのではないだろうが。20時をまわり、今日はここで切り上げることにした。非常に奇妙な光景であった。

後編に続く

CREDIT

取材
3710LAB
文・写真
菅野 康太