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海洋アースダイバー・フィールドワーク

レポート

日本の歴史や文化の生成を、人文科学と自然科学の両観点から解き明かそうとする試み。人類学者の中沢新一さんは「アースダイバー」という言葉にてその試みを表しました。それはまた、地球史・人類史から始まり、日本列島の形成過程や人類の移動の考察から文化と社会の形成を探り、「日本」の原型を探るものへと発展を遂げています。名付けられたのは「海洋アースダイバー」。
東日本大震災以降、この試みが持つ意義は非常に大きい。自分が生まれた土地や環境、その土地にまつわる歴史や文化。そのような身近に目を向けはじめる/向け直す人々が増えています。それは、私たちがこの「場所」で生きていくために大事なもの、その探究の過程のあらわれなのかもしれません。
その時、私たち一人びとりが「海洋アースダイバー」になることから、新しい可能性が見えてくるように思うのです。そんな想いから、中沢新一さんを講師に「海洋アースダイバー・フィールドワーク」を実施しました。その様子をレポートします。

ここ最近、テレビ番組や書店での特設コーナーでも見られるように、地形散歩が流行っていますが、その源流の一つには中沢新一さんの著作『アースダイバー』があります。中沢さんは、各地域の地形と人々の暮らしや文化がどのような影響関係にあるのかを探ることで、人間の無意識に潜ろうとする試みの総称として「アースダイバー」という言葉を用いてきました。

アースダイバーとは、地球の大地が水で覆われていた時代に、カイツブリという水鳥が水中に潜って掴んできた泥から陸地をつくった、というアメリカ先住民の神話に出てくる言葉です。この「アースダイバー」は、東日本大震災以後、プレートテクトニクスや列島形成過程などの地球科学的な観点を盛り込み、「海洋アースダイバー」として進化しています。

アースダイバー

 中沢新一『アースダイバー』(講談社、2005年)、『大阪アースダイバー』(同、2012年)


街へ「ダイブ」するフィールドワーク

「海と人との共生」というテーマを掲げ、海に関する教育を推進している東京大学海洋教育促進研究センターは、この海洋アースダイバーに着目しました。地形と人々の暮らしや文化、歴史の関わりを探ることは、「海と人とのあり方」を探ることになるからです。同研究センターに所属している田口は、海洋アースダイバーという構想が新しい教育プログラムとして大きな可能性があると考えました。そこで、あらゆる領域を横断しながら人類について探究する中沢新一さんと地理学を専門とする東京大学理学部教授の茅根創さんのお二人を講師に、実際にアースダイブしてみるというプランを提案。そのプランは現実化し、中沢さんが所長を務める明治大学野生の科学研究所と東京大学海洋教育促進研究センターとの共催により「海洋アースダイバー・フィールドワーク」が行なわれました。

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2015年5月16日、高校生や大学生15名と、大人たち10名ほどが東京大学駒場キャンパスに集合しました。中沢新一さんと茅根創さんを講師として、東京大学駒場キャンパスを出発し、渋谷駅を経由して明治神宮までを「ダイブ」するフィールドワークです。

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当日は、中沢さんの声が遠くにいてもみんなに聞こえるよう、イヤホンガイドを用意しました。イヤホンを通して、中沢さんの何気ない一言や茅根さんとの会話も聞こえてきます。お二人の講師の掛け合いやジョークの言い合いなどもあり、フィールドワーク全体を通じて、お二人をとても身近に感じることができました。

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資料を示しながら東京大学駒場キャンパスについて説明をする茅根さん。18世紀初め8代将軍吉宗の時代には将軍家の狩場であったことや、牛馬の放牧地となった後1878年に東大農学部の前身である駒場農学校となったこと、1890年に東京帝国大学農科大学となったことを説明してくれました。駒場キャンパスが緑豊かなのも、そういう歴史があるからなのですね。


縄文時代と現代の地図を重ね合わせる

アースダイビングマップ
「Earth Diving Map」(中沢新一『アースダイバー』より)

「アースダイバー」にとって欠かせないものの一つに、中沢さんオリジナルのアースダイバー用の地図があります。「縄文海進期」と呼ばれる海水面が急上昇した時代の地形をもとに、今日の東京の地図を描き直すと、海や川が入り込んでいた場所、陸地であった場所が見えるようになります。その地図上に、縄文時代から弥生時代にかけての集落の跡や古くからの神社、古墳や寺院の場所をマッピングしたものが、アースダイバー用の地図です。この地図と、現在の市街図を対照させながら、地形と文化の関係を探るのがアースダイバーです。

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昼には、この「縄文海進期」についてのミニレクチャーが茅根さんにより行われました。陸地に対する海面の高さはどのような変遷を辿ってきたのか。変遷に影響を与えたと考えられる日射量と気温、地球上の氷の量の変化。それらが地球の公転軌道と地軸の傾きの周期的変化などから影響を受けて生じるとの説明がありました。そうとなると、人々の暮らしや文化は宇宙規模の影響下にあるのか、と視野がグッと広がった気がしました。


「死」の森、渋谷ヘアースダイブ

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午後は東京大学駒場キャンパスを出て、神仙谷、弘法湯碑、円山町、千代田稲荷へと続きました。まさに、中沢さんの著作『アースダイバー』「第3章 死と森」にて描かれている場所です。そのタイトルに示されているように、死のテーマと深く結びついた街、「渋谷」へと深くアースダイブしていくことになります。

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現在の円山町のあたりには「荒木山」という小高い丘があり、その背後は急な坂道となり深い谷底になっています。そこに湧いていた泉が「神仙」と呼ばれます。この谷はかつて火葬場であって、人を葬ることを仕事とする人が住み着いていたようです。つまり、神仙の谷は死の領域に接した聖地であったと説明されます。ここに聖(ひじり)と呼ばれた宗教者が住み着き、泉の水をわかして「弘法湯」というお湯を疲れた人々に提供していたそうです。この弘法湯を中心に人が集まるようになった結果、「花街」ができあがり、それが現在においても変身を繰り返して残っているとの中沢さんの話には、多くの想像がかき立てられました。鍋島松濤公園では、わずかながらですが沸き立つ泉「神仙」を見ることができます。

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円山町のラブホテル街を抜け、渋谷道玄坂百軒店商店街を登っていきます。「百軒店」とは、関東大震災の後、復興に伴う開発計画として作られた街です。百貨店のような空間を作り出そうとし、下町の有名店や老舗が当時はあったそうですが、下町の復興とともにジャズ喫茶やロック喫茶、映画館などができ、文化、音楽の街としての姿をとるようになったそうです。

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百軒店を進んでいきラブホテルの立ち並ぶその一角にあるのは「千代田稲荷神社」。『アースダイバー』でよく知られるようになったのは、神社や寺院が海に突き出た岬ないしは半島の突端部にあるということ。この千代田稲荷神社もやはり高台にあって、その裏手は数メートルの高低差がある崖になっていました。渋谷は、陸地であった場所と海や川であった場所とが複雑に入り組んだフィヨルド上の地形をしており、そのことが坂道の多さとして現れているということを、体感することができました。またその土地の高低は、身分や貧富の高低とも無関係ではないそうで、そのことを意識しながら渋谷の街を歩いてみると、これまでとは異なる「渋谷」が現れました。


100年かけて築かれた神宮の森

最後は明治神宮。明治天皇の崩御後、その御霊をお祀りする場所として選ばれたのが、当時深い森に囲まれた場所であった代々木でした。大正時代最大の国民国家的事業として、「神宮の森」が作られることになります。この事業は、入念な調査と当時最新の森林生態学の知識を駆使され、100年以上もの見通しのもとに行われました。

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中沢さんに「車来たよ、道よけて」などと言われながら、半日をかけてフィールドワークが行われました。最初は緊張していた高校生も、中沢さんと茅根さんの軽快で愉快なトークに馴染みはじめ、途中からはお二人を囲んで質問攻めにしていました。

地形と人々の暮らし、文化との影響関係を読み解くという「海洋アースダイバー」。参加者にとっては、中沢さんの「見ているもの・感じているもの」の一端に触れることができた貴重な経験であったと思います。

中沢さんは言います。「アースダイバーのプロジェクトは、自分一人で完成できるはずもありません。みんなが自分の土地でアースダイバーとなってくれることを望みます。」アースダイバーという構想は教育にとって新しい可能性を与えてくれるものと思います。しかし、一方で現状の「教育」の中ではその構想の本質は失われてしまうようにも思います。何が失われてしまうものなのか、なぜ失われてしまうのか。それを見定めずには、新しい学びの可能性は見出されないように思います。
東日本大震災以降、海と人とがどう関わりを持って生きていくのか、ということは重要な課題となっています。アースダイバーが示すように、私たちの暮らしや生活は相当に長期間にわたって、海と陸という地形に大きな影響を受けてきています。私たちと海との望ましい関係のあり方は、カイツブリが海底から掴んできた「泥」によって陸地を作ったように、アースダイバーとなり深く深く潜ることで見出されるように思うのです。

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CREDIT

取材・文
田口康大