コラム

宮城県南三陸町

映画『波伝谷に生きる人びと』レビュー

2015.12.22

地域環境

『波伝谷に生きる人びと』は、東日本大震災で大きな被害を受けた、宮城県の沿岸部・南三陸町にある小さな漁村・波伝谷(はでんや)の暮らしをとらえたドキュメンタリー映画である。

震災後、数々のドキュメンタリーが作られたが、この映画のひとつ稀有なところは、おもに津波<以前>の日常を撮影した作品であるということだ。
そこに撮られている光景は、ほとんどが前のようには残っていないだろう。私たちは残された映像を見ることで、「失われたもの」について想像することができる。
だが、結果的にそうなってしまった「貴重さ」もさることながら、この映画に映っているのは、もっと単純で本質的なことなのではないかとも思うのだ。
我妻和樹監督は、大学時代に民俗調査で波伝谷を訪れてその魅力に触れ、卒業後も現地に通いながらカメラを回しつづけた。そして3年にわたる撮影を終え、試写会の日取りを組もうと波伝谷に向かったその日に、震災がおこった。

波伝谷は、カキやホヤなどの養殖漁業が盛んな町だ。明るく屈託ない漁師たちの姿を通して、彼らの生活の豊かさと厳しさが伝わってくる。「契約講」と呼ばれる独特な共同体についての語りや、にぎやかなお祭りの風景などから、時代の流れのなかで変化していく町の様子をカメラはとらえる。
それはあるいは民俗学的に見ても貴重な記録ではあるけれども、この映画の得難さはまた別のところにある。
『波伝谷に生きる人びと』には、カメラを持った人間がともすればおちいってしまいがちな、一方通行の傲慢さがない。監督は、あくまで人びとに寄りそい、かといって近づき過ぎることもなく、やはり外から来た「旅人」として、彼らの暮らしを真摯に眼差している。

例えば監督は、しばしば地元の人々の酒宴にカメラを持ち込んでいる。
仕事の最中を断りがあって取材されるのと、プライベートで酔っぱらっている時間を録画されるのとでは、全然違うはなしだ。それがどんな信頼関係のもとにはじめて成しうることであるかは、想像に難くない。
アルコールが入ってとびだすグチや冗談までを撮影されてかまわないと思えるのは、「それを撮っているのが他ならぬ我妻監督だから」ということだろう(なにしろ、宴会で前後不覚に酔いつぶれた男性を抱えた奥さんが、監督に向かって「ビデオで証拠を撮っておいて!」と言うくらいだ)。

地元の人たちはおりあるごとにカメラへ向かって、「我妻くん」と監督の名を呼びかける。
彼らの声を客席で聞くわれわれは、まるで自分がそう言われたかのような親密さをおぼえ、そのことによってまた、スクリーンに親しく注視を投げ返すだろう。
端的に言ってそれはとても幸せで、映画的な時間だ。

ひとつとてもすばらしく、印象的なシーンがあった。
ある家の若者が、鏡の前で、成人式に出るために着慣れないスーツに着替えている。しかし気がつくと、ベルトがない。「ベルトがなきゃダサいべや!」と彼は言う。お母さんがひっぱり出してきたものは、カジュアル過ぎてスーツには合わない。悲嘆にくれる青年に、おじいさんが昔使っていたであろうベルトが手渡される。落ち着いた色の革。これならいいだろうと監督もカメラを持ちながら声をかけるが、長いこと使っていなかったためか、巻いてある表面がベタついて剥がれない……
あまりにもありふれた日常のこの一場面が、しかし3年間撮りためられた膨大な素材を編集した成果である映画からカットされずに残っているというところに、監督の意志を感じ取ることができはしないだろうか。
『波伝谷に生きる人びと』には、「波伝谷に生きる人びと」が映っている。


■『波伝谷に生きる人びと』公式サイト
http://hadenyaniikiru.wix.com/peacetree
■『波伝谷に生きる人びと』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=hGi-K4mHV_4
■『波伝谷に生きる人びと』フェイスブック
https://www.facebook.com/hadenyaniikiruhitobito

文:
野尻はじめ