水とたわむれる
幼少時、両親の勤務している会社の持っている療養施設なのか契約している宿泊施設なのかはわからないが、家族向けに「海の家」というのがあって、まだ小学生低学年くらいにもかかわらず「キサラヅ」とか「アブラツボ」などというなかなかに渋い地名を耳でもって知ったのだった。夏休み期間中にせいぜい1泊か2泊で出かけることが幾度かあって、最初にどこへ行ったのかはもう覚えていない。きっとあちこちの記憶がごちゃまぜになっているのだろう。大きな手のひらほどもある真っ黒い蜘蛛がいたのはどこだったか。お昼は海水浴場に併設されているゴザが敷かれた大広間で食べた。下で注文して2階に上がって海を見ながら。何を食べたのかはすっかり忘れてしまった。
浮輪を抱えて姉と海へ走る。波音の大きさにびっくりする。波打ち際で寄せる波から逃げまわり引く波を追いかける。足の裏に接する砂地がじっとしていると波に削れていく。生ぬるい水に入る。膝下ほどの水位なのに右へ左へ前に後ろに身体ごともっていかれそうになる。太陽の暑さを肌に感じ、光に煌めく水の模様を見ていると方向感覚がわからなくなる。足がつくところを中心に泳ぐ。浮輪に心強くなって足がつかないところへ遠征し不安になったり、塩水のしょっぱさと咳き込む苦しさ、教わるまでもなく体感した恐怖だった。
乾いた砂より湿った砂の方が造作がしやすいし歩きやすいので、どうしても波打ち際にへばりつくことになる。砂を掘ったり砂でなにか作っては波をかぶって壊されたり、位置を変えてまた作り直したり。海から上がったあと近くのシャワーを浴びる。水着の中に入った砂を水着を着たまま洗い流す。それでも海水はベタベタが残りベタベタのサンダルをつっかけまた砂が足にまとわりつくことになる。髪の毛にもいつのまにか砂がからまってジャリジャリしている。たっぷり日に焼けている。日焼けをおそれたりするのはもっと後のことで、めくれはじめると、なるべく大きな皮膚を剥くのがそのあとの楽しみだった。
長じてというかもう海で泳がなくなって幾星霜というときになって、写真を撮るために海に入ることになろうとは。もう昔のこぼれるような楽しさはない。それでもあのときの足まわりの感覚を覚えている。
Interview 撮影前
楢橋朝子
- インタビュアー
- 「See the Sea」で海を撮影していただくとき、楢橋さんの作品「half awake and half asleep in the water」、「Ever After」など、水際のシリーズを思い出しました。これらは、いつ頃から撮影していらっしゃるんですか?
- 楢 橋
- 撮影自体は2000年からなんですけど、そのときはシリーズにするとは考えていませんでした。2001年に東京都写真美術館でのグループ展に誘われ、キュレーターの方に写真をみせたんです。数は少ないけれど、水際の写真が一番気になると言われ、その春から集中的に撮りはじめました。それまではスナップショットが多かったんですけど、海に入って水際で表面を撮るっていうのに集中したのは、この展示のおかげです。
- インタビュアー
- 完成のイメージを持って海に入り、撮影されるんですか?
- 楢 橋
- いや。場所だけ決めるだけです。ノーイメージで撮った方がいいかなと。そのあと選ぶのが楽しいんですね。当時、ニコノスというフィルムカメラを使っていて、ファインダーとレンズがずれているんです。覗いて構図を決めて撮ろうとすると、水没してしまう。だからノーファインダーが基本になりました。
- インタビュアー
- フィルム現像が上がってきて、ベタ(フィルム1本を印画紙に原寸で密着させたコンタクトプリント)を取って、はじめてこんな風に撮れていたんだと知るんですか?
- 楢 橋
- そうですね。発見が多いです。たとえば、この辺でこっち向いて撮ろうとか太陽の方向とか、自分はそういう場所を決めるだけ。それでもまぁ360度ぐるっと撮るんですけど。カメラに助けられているじゃないけど、すごくいいかげんなことをやっているんですよ。全然緻密じゃないんです。あとでいっぱいある中から選びます。いまはデジタルですから、いくらでも撮れる分、選ぶのがより大変です。
- インタビュアー
- 1回でどれくらい撮られるんですか?
- 楢 橋
- フィルムのときは、36枚撮りをひとつの旅行で何十本とかという感じでした。それこそ現像とかベタとかすごい大変。デジタルだとその10倍以上、100倍まではいかないけど、相当撮りますね。
- インタビュアー
- その中からどうやって選んでいるんですか?
- 楢 橋
- まずは、ピントが許せる。そして、さささっとみて、ファーストインプレッションですね。2、3回みて残っていく写真っていうのがあります。撮影はそのときの感覚だから、まず自分を信用しないで、写真を何回もみる。何回みてもなんか気になるものだけを残していく。たとえば10点選ぶんだったら、まず40〜50点にセレクトして、じっくりと朝晩みます。そこから絶対外せない5点があるとしたら、あとの5点はバランスやバリエーションで選んでいく。それも2、3日繰り返していくと大体みえてきます。
- インタビュアー
- 撮って、選んでの作業ですね。
- 楢 橋
- 大変でもやっぱり発見が多いから。昔からあまり自分からイメージを持たないんです。自分のイメージが貧困なので、これをこういう風に撮りたいという勉強をしたことがありません。なんでシャッターを押したのかと理由を聞かれても困るんですけどっていう感じで、とにかく撮りたいものを撮っています。
- インタビュアー
- そうすると、選ぶという作業が重要になってきますね。
- 楢 橋
- とにかくベタをみるというのを習慣にしています。選ぶ作業は嫌いではないので。
- インタビュアー
- では少し海について。まず海の思い出はありますか?
- 楢 橋
- やっぱり子どものときの海水浴かな。そんなに長い時間浸かっていたわけじゃないけれど、あの砂まみれになる感じ。水着の中に砂が入ってくる感じが、子どもの頃のイベントではありましたね。
- インタビュアー
- 海でたくさん撮影をしていますが、海での思い出となると子どもの頃になりますか?
- 楢 橋
- 小豆島で海に入っていたら入水自殺に間違われて通報されそうになったとか(笑)。撮影の思い出はもちろんそれぞれエピソードはありますけど、それがいい思い出かというとそうでもないですからね。
- インタビュアー
- 人からはそういう風にみられたりすることもあったと思うんですけど、自分の中で何かを感じるとか、開いたみたいな感覚はありましたか?
- 楢 橋
- 開いたとまではいかないんですけど、足元がすくわれるというか。わけわかんなくなりそうなときはありましたよね。波の音がその場にいるかぎり途切れないで、ずっと聞こえるじゃないですか。それがうるさく感じないというのは、海に溶け込んでいるんですよね。だからひとりのときは怖いです。でも、海に入るときはリアリストになるので大丈夫なんですけど、そのまま一体化しちゃったらまずいなとは思っています。
- インタビュアー
- 撮影を海に任せている部分もありつつ、すごく冷静な自分もいらっしゃるんですね。
- 楢 橋
- そうですね。撮影でいい写真を撮るということと、自分が海に抱かれて気持ちよくなるというのは別のことのような気がするんです。言葉でうまく言えないんですけど。だから自分がここは気持ちいいなと撮影したからといって、必ずしもいい写真が撮れているとはかぎらない。ここも押さえておこうと撮ったものの方が、あとでみたら面白かったりします。そのときの自分の感情だとか、気分みたいなことは、いちど突き放すようにしています。
- インタビュアー
- 海や川での撮影時、水への意識はありましたか?
- 楢 橋
- 24時間態勢で撮りたいという時期があったんですよ。酔っ払ってもカメラを離さないみたいなときがあって、その延長ですね。キヤノンのD5や写ルンですの水中カメラを買っていました。水中とか素潜りとかもやったほうがいいのかなと、興味をもっていたんです。あるとき、城ヶ島のBBQに誘われ、泳げる準備はしていました。海でぷかぷか浮いていたとき、陸の方をみたらBBQの様子が面白かったんです。カメラを持って撮れる体勢だったので、それを撮ったのが最初かな。
- インタビュアー
- そのときに水際の写真が撮れていたんですか?
- 楢 橋
- 厳密にいえば絶対水はかかっていないんですよ。そういう発想はなかったので。でもカメラの水平を低くするのは面白いなと思いました。そこからですかね、意識しだしたのは。最初は海面スレスレぐらいで撮っていました。海の表面がピカピカ反射している感じです。普通の海の写真というよりは、海に入って撮っている感じです。
- インタビュアー
- これらのシリーズを撮影する前後で、なにか変わったことはありますか?
- 楢 橋
- やっぱりフィジカルには変わりますよね。海って、浅瀬でも気を失ったら死んじゃうでしょ。そういう意味で、すごく怖いです。それに、波が行ったり来たりっていうのを繰り返しているうちに、方向感覚がなくなってしまうようなトリップ感が、陸では得難いですね。ゆらゆらしているそれも含めて楽しいみたいな。でも、やっぱり怖いというのはどこかにあります。あんまり泳げないし、水難事故とかも多いですし。怖いというより、そういうことを忘れないようにしようという感じですね。
- インタビュアー
- このシリーズはいまも続けていらっしゃるんですよね?
- 楢 橋
- これだけではないですけど、やっぱり海に行ったら挨拶がわりに撮ったりします(笑)。長いですね。20年くらい。撮っていていいのかな、続けていいのかなと思ったのは、東日本大震災のときですね。展覧会をみた先輩から「津波みたい」と言われ、かなりへこみました。それでも「撮り続けるしかない」とみんなに言われ、いまも続いています。まぁ、やめるのは簡単ですから。でもなんかそれは悔しいじゃないですか。
- インタビュアー
- それは作品集を出したから完結するものでもないんですね。
- 楢 橋
- そうですね。キリがないんです。
- インタビュアー
- 今回、海というテーマで撮っていただくのですが、こういう形で撮影されることは少ないですか?
- 楢 橋
- 海って、海ですよね。なんだかはっきりしているんだけど、どこか曖昧で。たとえば、2021年のCHIBA FOTOで、千葉市で撮り下ろしをという依頼がありました。それに伴い、まず思い浮んだのは幕張から稲毛に続く人工海浜でした。以前撮影したこともあり、久しぶりにもう少し範囲を広げて撮りたいと思いました。私の作品を展示する稲毛の古民家が、昔はすぐ近くまで海だったという場所で、海をイメージしやすかったり親和性もあったと思います。今回、漠然と「海」をと言われたので、それを意識しているかどうかを認識するのが難しいです。なんでも海になりますから。海は広いですよ、意味が。
- インタビュアー
- 写真家に委ねてしまうところが大きいのですが、なにかしら海に繋がっていくだろうなと。そういうちょっとしたきっかけから海を手繰り寄せていくことも大事かなと思いました。
- 楢 橋
- 生活的なことでいえば、フリースのパジャマを洗濯しながら、マイクロプラスチックのこととかを考え出すと、どうすればいいのかと戸惑います。そういうことは確かに意識していると言えるのかもしれないけれど、でも写真にそれは出ないから。その辺のもどかしさはありますよね。
- インタビュアー
- 写真で伝えられることと写真で伝えられないことがある。
- 楢 橋
- 伝えたいというか、そういうことを意識している人は多いだろうなと思います。でも写真で説明的になると面白くないだろうなと。
- インタビュアー
- 普段から海を意識することはありますか?
- 楢 橋
- 意識というほどではないですけど、昔から船旅が好きです。学生の頃からフェリーに乗っていました。沖縄に行くのもフェリーでした。お金がなくて、暇があったからなんですけどね。どこ行くにもフェリー。海の上でゆったりする時間が好きなんです。あと、何日もフェリーに乗ってから陸に上がると、陸が揺れる感覚になるじゃないですか。あれが楽しいんですよね。あぁ酔ってる酔ってるって。やっぱりトリップ感というかフィジカルから違う何かがちょっと目覚める感じです。
今回依頼をされたとき、ちょうど桜島に行くので、そこで撮れるんじゃないかなと思ったんですが、何を撮ってもいいと幅が広いから迷いますね。 - インタビュアー
- 桜島で何を撮るというよりは島に行ってからという感じですか?
- 楢 橋
- 桜島はちょっと縁があって。1989年に鹿児島から沖縄までフェリーで行ったんですけど、そのときに写真を撮りました。それらが入った古い写真が、今回新しく写真集になるんです。その中に桜島を撮ったものもあり、それをみていたら久しぶりに行ってみたいなと思いました。そのあと2008年にもう一度行ったんですけど、垂水の方から桜島へ陸続きで入ったので鹿児島方面からは行っていないんです。鹿児島からフェリーが出ているのを知らなくて。今回はそれに乗るのが楽しみです。
- インタビュアー
- 桜島での写真、楽しみにしています。撮影、よろしくお願いいたします。今日はありがとうございました。
- 楢橋朝子(ならはし あさこ)
- 東京都生まれ。早稲田大学第二文学部美術専攻卒業。在学中に「フォトセッション」に参加。1989年に初の個展「春は曙」を開催。1990年〜2001年まで自主ギャラリー「03FOTOS」を運営し、積極的に展示をおこなう。1997年に初の写真集『NU・E』を刊行。2000年頃から水面のシリーズを撮り始め、国内外での展示や写真集『half awake and half asleep in the water』、『Ever After』としてまとめられている。日本写真協会新人賞、写真の会賞、東川賞国内作家賞を受賞。2023年2/1~3/18まで写真展「春は曙」をPGIにて開催。合わせて、同名の写真集も刊行された。
http://www.03fotos.com