「計画と偶然」の前段階として「観測」を実践してきた
- インタビュアー
- 「See the Sea」という企画ですが、写真家に海をテーマに撮影をしていただくというものです。まずは撮影前にお話をお聞きできればと思います。海と聞いて思い出す場所はありますか?
- 原田
- 毎年夏になると祖父母と過ごした三重県にある海岸の景色を今でもよく思い出します。堤防の上を道路が一車線走っていて、そこを降りるとすぐに海がありました。家族で泳いだり、ただじっと海を眺めたり、よくそこで長い時間を過ごしていました。自分が物心ついた頃の伊勢湾はまだ汚くごみも多い時期で、よくあんな汚い海にたくさん人が集っていたなと思いますが。いまは真っ白できれいな砂浜と松の防風林が海岸線沿いに続いています。そういう意味では海に触れる機会は多かったかもしれません。
- インタビュアー
- 海の思い出と聞かれると、そこが思い出されますか?
- 原田
- そうですね。でも子どもの頃は海が好きじゃなかったんです。いまはそんなことはないんですが、海に入るのが怖いと思っていました。昔のホームビデオに泣き叫ぶ姿がまだ残っています。中学生くらいの頃は多分おばあちゃんに会いたくて行っていて、高校生になってからは思春期のひと夏、東京を離れ、馴染めない高校のことなどを忘れて自分だけの時間がつくれました。ちょうど写真をはじめたタイミングでもありました。その頃のことは鮮明に覚えています。
- インタビュアー
- 高校生のときに写真をはじめられたとのことですが、何かきっかけがあったんでしょうか。
- 原田
- あまり思い当たることはないんですが、怪我をしてスポーツをやめたんです。部活とかそういうことはもうしたくなくて、ひとりでいる時間がほしかったんです。絵を描いてみたりもしましたが、絵は何度でも書き直せてしまうので推敲して悩むうちに興味を失ってしまったんです。写真はひとりでできるし、感情と撮るという行為に直接的な関わりがあるような気がしてすごくいいと思いました。小さい頃からよく「写ルンです」を渡されて祖父母と過ごした夏の日々や家族を撮ったりしていましたが、撮ること自体、自分の中では特別なことだとは思っていなくて、とても自然なことでした。写真のレスポンスの良さは自分にとって大きかったんだと思います。だからそのままスッとはまっていきました。もし高校生だった当時、インスタレーションや立体物などにもっと自分の理解があったらそっちを選んでいたかもしれませんね。
- インタビュアー
- 自分の中でこれだなとしっくりきたんですね。
- 原田
- はい。でも家族や恋人、日常を撮るのは大学1、2年生頃まででした。だんだんと人と関わりながら撮ることより、もっと物質的で言語化できないものを撮りたいと思うようになっていきました。それで漂流物などを撮りはじめました。他にも、高校生の頃から波打ち際に押し寄せる波を定点的に撮っていましたが、ホンマタカシさんが「NEW WAVES」という作品を撮っていることを知り、途中でやめてしまったこともありました。
- インタビュアー
- そうやってひとつのものを眺めたり、定点しながら変化をみていくことに元々興味があったんでしょうか。
- 原田
- 定点的な視点は、僕のオリジナリティというより写真家の山崎博さんから受けた影響が大きかったです。山崎さんの代表作の一つに「Heliography」という海と空を画面の中で真っ二つにして、そこに太陽が登っていくというギミックの効いた写真シリーズがあります。それを高校時代に図書館で見つけて、武蔵美を受験して山崎さんのゼミに入るところに繋がっていきました。山崎さんは「計画と偶然」とよく言っていました。あるとき「この窓をずっとみてろ」と山崎さんの隣に座らせられて。隣り合って正面を向きながら窓を眺めていると、そこには些細な変化が膨大な量、起きているのだと気がつかされました。山崎さんの「計画した者にのみ、最良の偶然が訪れる。写真というのはその計画の先にある偶然をいかに写すか。」コンセプトを立てるよりもまず写真という行為について、深く考え、被写体と向き合って観察するようになっていきました。それらをまとめてNo.12Galleryで「観察と観測」という展示をしたのが2019年。そこから最初の写真集『Water Memory』では、10年ほどの試みを撮り下ろしを交えながらまとめました。
- インタビュアー
- 被写体との距離感はどんなものであってもあまり変わりませんか。
- 原田
- 基本的には同じですが、この1、2年は意識的に少し変えています。『Water Memory』までは、とにかくこちらは動かないことを意識していました。もともと自分自身があまりエモーショナルなタイプではないので、動くことでかえって何をしたかったのか、何を視て考えていたのか分からなくなってしまい。それがいまの自分のスタイルにも繋がっているのですが、結果的に視る力を鍛えるような写真との向き合い方を選んでいたのだと思います。それがここ最近、自分自身が動きたいと思うように変わってきました。
- インタビュアー
- それは何か変化があったんですか。
- 原田
- 年齢を重ねたことで、写真との関係や距離感も変わってきたのかなと思います。もう少し自分の感情であったり、社会や目の前の事象に対して能動的な感情表現をしたいと思うようになってきました。最近小さなカメラを使って、自分の日常を撮ることを再開しました。この4、5年はほとんどそういうことをやらなかったので、コンパクトカメラを持っていると自分もカメラも動かなきゃいけないので。
- インタビュアー
- そういうとき、被写体として気になるものも変わってくるんですか?
- 原田
- 気になるものはそんなに変わらないですね。自分はあまり被写体を探すという考えで写真を撮っていません。被写体を探すこととテーマを決めることはある意味では同義的なことだと思っていますが、先に何をするか決めて写真をやるのは面白くないなと。明確に訴えたいことがある場合は予め決める意味がありますが、私の場合はもうちょっと漠然としたところから、リサーチなどを経ながら時間をかけて形にしていくような方法論でやりたいという気持ちもあります。
体感や情緒に基づき海をとらえたい
- インタビュアー
- 現在、原田さんは海と関わりがあったりしますか。
- 原田
- 仕事で月に何回か鎌倉に行くのですが、帰りにひとりで海にいきます。自分にとって精神的な凪の状態をつくるという意味で海とはすごく密接なつながりがあるかなと思います。あとは漂流物の作品「a Shape of Material」をつくったことで、海については常々考えています。海は摂理を教えてくれる場所だなと思います。たとえば漂流物の多くは人間が生み出した漁業用具や日用品などのプロダクトなのですが、それがなんらかの理由で海に放り出され、原型を失っていく。でも万物に魂が宿るという価値観で考えるなら、捨てられたペットボトルにもなんらかの意思が宿っていると思うのです。人間もそうですし、すべてのものは劣化するという摂理と、人工物が故に異物として分解されず摂理に反する部分とが両方垣間みえてきます。ものをずっとみることで、そういうことに気がつくのかなと思っています。
- インタビュアー
- 「a Shape of Material」を通してそういうことを感じられていたんですね。
- 原田
- 10年前ですから恥ずかしながら、環境のことを意識して着手したシリーズではありませんでした。無邪気な気持ちでみていたものが、社会が変化していくなかでこれまでとは違った意味を持つようになったと思います。その点もよく考え、今改めてどう自分にとってこの作品が見えているのか整理する形で発表しました。同時に、環境だけではなくてより情緒的な視点で海を見ることも重要だと思っています。その情緒についてもう一度考えることで、改めて自分ごととして環境を大事にしなきゃとか、考えがシフトしていくんじゃないかなと思っています。
- インタビュアー
- 原田さんの作品の中で「水」はひとつ、キーワードになっているのかなと思いました。
- 原田
- 人間はそもそも水からできているといわれますが、海はやはり根源的な存在として特別な包容力というか、飲み込むような力があるのかなと思っています。巨大なエネルギーというか、どうしようもなく大きな存在として「水」を意識するようになったというのはあるかもしれません。
- インタビュアー
- そんな中、今回「海」という大きなテーマをお渡しして撮影していただきます。
- 原田
- 改めて自分にとっての海とは何かと考えるようになりました。今回は観察的な視点から外れ、体感や情緒に基づき海をとらえたいと考えています。作品をつくるときにいつも考えていることですが、たとえば、社会的でトピック化している環境問題の視点で海をとらえるようなことも方法論のひとつとしてありますが、それはかえって写真や表現を消費する方向に働かせてしまう場合もあるのかなと思っています。私の場合は漂流物のシリーズもあるので、そこと少し分けた考えを持ちつつ、人間の持つ情緒は時代が変われど極端に変わっていないと思うので、そこを大事な点に、人が潜在的で普遍的に持つ部分に通じていけるような何かをとらえることを目指したいと思いました。色々な視点があって良いと思うのですが、「a Shape of Material」とは違った方向性で海を考えたいと思いました。
海という物理的なものが隔てる距離には大きな意味がある
- インタビュアー
- 海は大きすぎて、自分の中に輪郭を持たせることがすごく難しいなと思っています。
- 原田
- 自分にとっての事柄や身体を海と重ねたり置き換えて考えてみると体感しやすいのかなと思います。小、中学生だと置き換えられるものをまだ持ってないから難しいですが、そういう勉強の仕方は楽しいかもしれないですね。
- インタビュアー
- 小、中学校で海について知る機会があったら学んでみたかったことはありますか。
- 原田
- 日本には離島と呼ばれる場所がいくつもあって、そこでは中学校や高校に通うために親元を離れて暮らす子どもたちがいる。都市部に暮らしていれば大事にならないようなちょっとした事故や怪我が命取りになるような日常があるということは、もっと早くに知りたかったと思います。大学在学中に撮影で訪れた八丈島は、船で片道13時間ほど。海流の激しい黒潮を超えていきます。気象条件による欠航も頻繁にありますし、飛行機の就航率も日本で屈指の悪さといわれています。そんな環境の中で、進学や就職のために寂しいけれども親元を離れていく子どもたちの目を見ていると、なにか決意のようなものを感じることがありました。夏に本土から戻ってきて無邪気にはしゃぐ姿には、変わらないものを感じたり。そうした体験を私が子どもの頃にしていたら、おそらくいまとは違う人格になっていたのではないかと考えたりもします。
- インタビュアー
- 島の暮らしは独特な部分があるかもしれませんね。
- 原田
- 陸続きではない、海という物理的なものが隔てる距離には大きな意味がありますし、時間や環境をも隔てる存在なのだと思います。
- インタビュアー
- 今回撮影に行こうと思っているのはその八丈島ですか?
- 原田
- そうですね。コロナの間4年ぐらい行けていませんが、コロナまでの7年間毎年2、3回は行っていました。久しぶりに行くのが楽しみです。
- インタビュアー
- 写真、楽しみにしています。お気をつけて。
(インタビュー 2023年5月29日)
原田教正(はらだかずまさ)
東京都生まれ。武蔵野美術大学芸術文化学科/映像学科に在学中よりフリーランスとして独立。雑誌・広告・カタログなどの撮影をおこなう。写真集に『Water Memory』『An Anticipation』がある。「観測と観察」(NO.12 GALLERY、2019年)、「An Anticipation / Obscure Fruits」(BOOK AND SONS、2021年)など写真展も積極的におこなっている。好きな海の生き物は「カモメ」。
https://www.kazumasaharada.com/