原田教正 撮影前 interview を読む
自分の人生を受け入れるしかない
- インタビュアー
- 今回、10年近く撮影されていた八丈島のシリーズに撮り下ろしを加えていただいたんですよね。まずは八丈島に行ったきっかけを教えてください。
- 原田
- 最初に行ったのは2013年でした。厳密にはコロナがあったので一度止まっていますが10年くらい経ちました。はじめは知人や先輩の写真家が八丈島に通っていたことで私も誘われていくようになりました。そうしたら、僕の曽祖父が野菜とかいろんなものの品種改良をする研究所をしていたんですが、暖地園芸というものの指導のために20年以上八丈島に頻繁に通っていたことがわかったんです。実際、島でいろんな人と接していく中で、指導を受けていたというおじいちゃんがいたりして。そういう奇遇なところからはじまっていきました。
- インタビュアー
- 八丈島はどんなところでしたか?
- 原田
- 東京の亜熱帯、南国というようなふれ込みの島なのですが、溶岩が島を覆っていて、甘さのない、優しさのない感じの景色が広がっています。東京で生まれ育っているので、海をあんなに長い時間フェリーで行くという経験もしたこともなく、非日常でした。元々、絶海に浮かぶ流刑地ということもあり、少し殺伐として切ないような風景が広がる場所です。昔は2,3日と長い時間をかけて連れてこられ、ある種、心を強制されていくというか、犯した罪のことや自分の人生を受け入れるしかなかったんじゃないかなと思います。達観せざるを得ないというか。だからこそ八丈島の景色は、今を生きるみたいなことを考えさせてくれる景色だなと思っています。
- インタビュアー
- 罪人とか死者とか、そういう人と密接というか……。
- 原田
- そう思いますね。流刑地らしく南から北まで様々な文化が混ざっていて、お墓に行くと南方系の埋葬文化を思い起こさせるようなこともあります。お盆にはお墓に人が押し寄せて、縁に座ってピザやお寿司を食べたりビールを飲んで語り合うというのはすごい光景です。死者に対する達観した独特な価値観と人一倍強い哀れみの想いに触れる度に、この島らしさを感じます。流罪になった罪人とも次第に信頼関係を築いていき、同じ敷地内に住まいを建てたり、婚姻関係になったという昔の話を聞いて、らしさを感じます。ただ島の人はそれを特別なことだとはあまり考えていないようで、とても自然なこととして受け止めているように思います。死者を弔うと言うことも、深い悲しみの先に強く明るいものを感じることもあります。それが冒頭に話したお盆の光景なのですが。
- インタビュアー
- 人との距離感や自然、死者というものとの距離感がすごく独特ですね。
- 原田
- 夏になると、岸壁の高いとこから飛び込んでいる子たちをよく見かけます。じっとそれを眺めていると不思議な気持ちになるんです。島の子たちって10mくらいのところから海にどんどん飛び込むんです。一度潜ってみえなくなって、ふぁっと浮かび上がってくる。それをずっとみていると、生きるとか死ぬとかってこういうことだなと疑似的に生死のサイクルをみているような気持ちになることがあります。よそ者の目には、その反復によって島の子どもたちは暗喩的に死と生を心や体に無意識のうちに刻んでいるのではないかと思うこともあります。それくらい、生死に対する自然な向き合いを感じる瞬間が多々あります。
撮影毎の感情と私自身や島の変化は常に敏感に感じている
- インタビュアー
- 八丈島に通い続けようと思ったのはなぜですか。
- 原田
- 殺伐とした風景や人々のどこか達観した様子を垣間見ることが、私にとってのメディレーションなのかもしれません。島というのは、時代がどれだけ進もうとも生きてくための多様な選択肢がすべて用意されている環境ではありません。それはもちろん改善されつつあると思いますが、いい意味での諦めや達観というのもあって、不自由さや仕方なさの中に潜在的な人間らしさを感じることもあります。当時まだ大学生だった私が歳を重ねながら傍観者的な立場から、じっとその変遷を見ていると言うことが貴重な機会でした。
- インタビュアー
- 写真を見ていると、傍観者としてこれ以上はいかないというような距離感が全体を通してあるなと感じました。
- 原田
- それは意識していますね。どうしても島に行く=その生活をドキュメントして人にもっともっとフォーカスして撮るものと思われがちです。私の場合は、そうした形をとるよりも傍観者でいることに徹する方が、この島を自分にとって適切な距離から見ることができるのではないかと思いました。もうひとつは、社会のあり方が多様化していく一方、離島や地方に行くと、開かれていくことに対して追いつけない人や受け入れ方がわからなくて戸惑っている人たちをたくさん見かけます。理不尽なことは取り除かれた方がいいけれど、すべてが単純思考的に多様化すれば良いのか、地域性にもよるし、一概にはいえないと私自身は思っています。見知らぬ場所での撮影では、あまり自分の日常と比較することも、または、コミュニテイの中に入り過ぎることもしたくないという思いもありました。
- インタビュアー
- 八丈島でもそう感じますか?
- 原田
- 島の人々がもつ想いそれぞれを画一的な言葉で表現することは難しいのですが、島でいくつもの光景や言葉を見聞きするうちに、それを要約して誰かに話そうとしたとき、やはり「この島は」という主語で話をせざるを得なくなっていきます。それは、写真が動画と違い時間軸を描くことはできないのと似ていて、言葉もまたそれぞれの人が持つ想いの差異やグラデーションを端的に一言で表すことはできない不自由さみたいなものがありました。そこで八丈島に繰り返し撮影にいく中、誰かや何かに狙いを定めてドキュメント的に撮影するのではなく、なるべく島の全体感を通じ、海を隔てた先にある様々な感情や風景をゆるやかな固まりというか、綴じないけれど綴りもののように見せたいと思うようになりました。この作品を一度撮り終えた大学の卒業後に「1_WALL」に応募したことがありました。そこで鈴木理策さんからのコメントに「写真を通じて島の地図を読み情景に触れているようだ」とコメントをいただいたことがあります。
- インタビュアー
- そういう島の様子や立ち振る舞いみたいなものを受け入れていく感じでしょうか。
- 原田
- 受け入れるというより、適度な距離を置きながら、年に一度か二度ほど撮影なので、その都度のことを詳細に覚えているかというと、そうでもなかったりもします。ただ、何度も通いながら見ている風景なので、撮影毎の感情と私自身や島の変化は常に敏感に感じているので、その変遷を自分でも辿りながら受け止めている感じです。
- インタビュアー
- 移動することも大きい要因なのかもしれませんね。
- 原田
- フェリーで海を越えていく間に考えることもその都度すごく変わっていっていると思います。飛行機でぴゅーっと行くのと、海を本当に渡っていくのとでは全然違います。昔は何度か飛行機で行っていましたが、どこか物足りないなと思って。フェリーから海をみていると、生まれてから死ぬまでの抜粋版みたいだなと思うことがあります。やっぱり僕は海って怖いものだなと思っているので、こんなにきれいでも入りたいとはあまり思いません。海と人の関係は決して対等ではなくて、陽が暮れて明けるサイクルのなかで、自分が主役なんじゃなくて、その一連の時間の出来事の中に自分がポツンと置いていかれているように感じます。外洋に出てまっすぐに進んでいくと360度海しかなくて、閉所恐怖症のような恐怖感を感じることがあるんです。すごく開かれているのに逃れられないというか、移動に時間をかけることで得られる体験です。他にも、夏休みの時期にフェリーに乗ると、一緒に上京して別々のところに住んでいる大学生が再会していい雰囲気で話しているのを横目でみたり。移動の時間が本当にいろんなものもたらしてくれるし、その中で人は変化していくものなんだと思います。海を渡ることはやっぱり情緒がありますね。
- インタビュアー
- それはやはり長い期間をかけて行っているからこそみえる変化ですね。
- 原田
- 私も変わりますし、向こうも変わるんですけど、やっぱり写真は自分自身の変化を感じられる媒体でもあります。被写体を撮って表現すること自体が本質的には借り物競争的な部分があると思います。だからこそ、変化の正体が内なのか外なのか、ドキュメントではない方法を取ることで客観的に見ているのだと思います。中に入っていくと、変化の全体像を感じづらくなるというか、客観性みたいなものがとらえづらくなる感じがします。それが海という距離や時間をかけて移動することといい組み合わせなのかもしれないですね。
情緒や普遍性をもたせて、海をどうやって表現できるのか
- インタビュアー
- そうやって毎回行って、自分が変わっていっているという中でも、原田さんの写真の距離感は一貫していると感じるのですが、そこに変化はうまれないのでしょうか。
- 原田
- もちろん、うまれるんですけど距離を縮める行為って一過性のことなのかなと思っています。たとえば八丈島に住んで、八丈島の人になるなら距離を縮めていく意味はあると思うんです。でも僕は年に1回ぐらいのペースで行くので、あくまで部外者なんです。なのでその都度、作品としての整合性も含めて距離感の修正みたいなことをしています。写真は記録媒体という考え方もあるので、一定した距離感というのは自分のこれまでのシリーズでも一貫したスタンスです。ただ最近は、もう少し入っていきたいなとか、全然違う距離感でやりたいなという思いも湧いてきています。今回も一部にはそういうことを含んだ写真があるんですけど、強い主観のようなものは、全体の中で少しみえるぐらいでいいかなと思っています。近寄りたいのにそれを自制し過ぎるのはナンセンスですが、安直に近づいていくのもナンセンスだなと思っています。作品は撮影した全部ではなく、膨大な中から抜粋をしてみせるので、そこで匙加減を検討しながら、今回は過去との整合性に囚われながらも自分と島の今を反映しました。
- インタビュアー
- 10年八丈島を撮ってきて、海とか島とかについてもっと調べたいとか撮っていきたいことはありますか?
- 原田
- 前回もお話しした情緒や普遍性をもたせて、海をどうやって表現できるのかなというのはテーマとして考えているところですね。海を探して作品をつくるというより、そういうことをみせられる場所に自分がどう出合えるかだと思っています。そういう意味で、八丈島のシリーズはこれまで島で私が見聞きしてきたことを言葉から写真に翻訳することで、匿名性がありつつ普遍的なものとしてみてもらえるかなと思います。ストーリー立てられたものではなく、断片的な集積を八丈島の風景を介してみてもらえたらいいですね。
(インタビュー 2023年8月28日)
原田教正(はらだかずまさ)
東京都生まれ。武蔵野美術大学芸術文化学科/映像学科に在学中よりフリーランスとして独立。雑誌・広告・カタログなどの撮影をおこなう。写真集に『Water Memory』『An Anticipation』がある。「観測と観察」(NO.12 GALLERY、2019年)、「An Anticipation / Obscure Fruits」(BOOK AND SONS、2021年)など写真展も積極的におこなっている。好きな海の生き物は「カモメ」。
https://www.kazumasaharada.com/