みなとラボ通信

海のほんだな vol.12

函館 蔦屋書店・文学コンシェルジュ/北村知之

2026.05.29

北村知之(函館 蔦屋書店・文学コンシェルジュ)

ナショナルチェーンの大型書店、駅前にある町の本屋、創業100年の老舗書店、雑貨併売・カフェを併設のセレクトショップと、さまざな業態の書店勤務を経て、2018年にCCC入社。現在は函館蔦屋書店勤務。

函館 蔦屋書店(北海道函館市石川町85-1)
営業時間:9:00〜22:00 / 定休日:年中無休
https://www.hakodate-t.com/

どもに読んでもらいたい「海」に関する本

『すばらしいとき』文・絵:ロバート・マックロスキー 訳:わたなべしげお(福音館書店)

海辺の島で過ごす家族の一日を、豊かな自然とともに描いた絵本。朝のやわらかな光、波の音、潮の香り、岩場や入り江に息づく小さな生きものたち。子どもたちは海に出て、貝を拾い、岩場を歩き、自然の中で一日を存分に味わう。大きな出来事はなくとも、刻々と変わる海の表情や空の色が、かけがえのない時間を形づくる。ロバート・マックロスキーの繊細な線は、海辺の風景と生命の気配をいきいきと伝え、読者をその場へ連れていく。人と自然がゆったりと寄り添う時間の尊さを、静かに感じさせてくれる一冊。

「うみべのまち」で育った私の「海」の本

『風の歌を聴け』村上春樹(講談社)

『風の歌を聴け』には具体的な地名こそ登場しないが、作者の出身地である神戸や芦屋に連なる阪神間の海辺の街が舞台であることはよく知られている。街の描写には、つねに海の気配が漂う。〈海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い街〉という一節に象徴されるように、川やテニスコート、屋敷や古い図書館といった風景の背後に、海と山に挟まれた阪神間特有の地形が浮かび上がる。海は見えなくても、すぐそこに海があると身体で知っている感覚――地元で育った人間だけが持つその距離感が、淡々とした文章の行間から静かに立ち上がる。街の空気そのものが、物語の温度を形づくっている。

あなたを「海」へと誘う1冊

『旅のなかの旅』山田稔(白水社)

山田稔のエッセイ『旅のなかの旅』は、著者の旅と記憶を静かな筆致でたどる一冊である。ヨーロッパの各地を歩きながら、街の風景や人びとの会話、ふとした出来事が短い文章のなかにすくい取られていく。とりわけ印象に残るのは、折にふれてあらわれる海の気配だ。港町の岸辺、遠くにひらける水平線、波の音とともに過ぎていく時間。著者が好む旅は、名所を巡ることよりも、そうした場所で立ち止まり、風景のなかに身を置くことに重心がある。海はそのたびに、旅人の思索を受け止める広がりとして現れる。『旅のなかの旅』は、土地を訪れることと、そこで流れる時間に耳を澄ますことが、ほとんど同じ行為であることを伝えている。

文学コンシェルジュにとって「海」の思い入れがある1冊

海をあげる』上間陽子(筑摩書房

著者は沖縄の大学で教育学を教えるかたわら、未成年の少女たちの支援と聞き取りを続けてきた。本書『海をあげる』は、その著者自身の日常を綴った私的なエッセイである。幼い娘と過ごす穏やかな時間、食卓や水や花といった生活の細部。その向こうに、いつも沖縄の海がある。しかしその海は、ただ美しいだけの海ではない。辺野古の新基地建設に象徴される政治と経済のひずみが、静かな青の底に沈んでいる。柔らかな語りの奥に怒りと悲しみを湛えた一冊だ。この幻想的で不思議なタイトルの意味を知る時、私たち読み手の誰もが、傍観者でいることを許されない。