みなとラボ通信
Read the Sea vol.2, 後半
2023.04.24
写真家が「海」をテーマに撮り下ろす連載企画「See the Sea」。vol.2は楢橋朝子が鹿児島県桜島の海を撮影。写真を通し、新たな海への視座を感じてほしい。
幼少時、両親の勤務している会社の持っている療養施設なのか契約している宿泊施設なのかはわからないが、家族向けに「海の家」というのがあって、まだ小学生低学年くらいにもかかわらず「キサラヅ」とか「アブラツボ」などというなかなかに渋い地名を耳でもって知ったのだった。夏休み期間中にせいぜい1泊か2泊で出かけることが幾度かあって、最初にどこへ行ったのかはもう覚えていない。きっとあちこちの記憶がごちゃまぜになっているのだろう。大きな手のひらほどもある真っ黒い蜘蛛がいたのはどこだったか。お昼は海水浴場に併設されているゴザが敷かれた大広間で食べた。下で注文して2階に上がって海を見ながら。何を食べたのかはすっかり忘れてしまった。
浮輪を抱えて姉と海へ走る。波音の大きさにびっくりする。波打ち際で寄せる波から逃げまわり引く波を追いかける。足の裏に接する砂地がじっとしていると波に削れていく。生ぬるい水に入る。膝下ほどの水位なのに右へ左へ前に後ろに身体ごともっていかれそうになる。太陽の暑さを肌に感じ、光に煌めく水の模様を見ていると方向感覚がわからなくなる。足がつくところを中心に泳ぐ。浮輪に心強くなって足がつかないところへ遠征し不安になったり、塩水のしょっぱさと咳き込む苦しさ、教わるまでもなく体感した恐怖だった。
乾いた砂より湿った砂の方が造作がしやすいし歩きやすいので、どうしても波打ち際にへばりつくことになる。砂を掘ったり砂でなにか作っては波をかぶって壊されたり、位置を変えてまた作り直したり。海から上がったあと近くのシャワーを浴びる。水着の中に入った砂を水着を着たまま洗い流す。それでも海水はベタベタが残りベタベタのサンダルをつっかけまた砂が足にまとわりつくことになる。髪の毛にもいつのまにか砂がからまってジャリジャリしている。たっぷり日に焼けている。日焼けをおそれたりするのはもっと後のことで、めくれはじめると、なるべく大きな皮膚を剥くのがそのあとの楽しみだった。
長じてというかもう海で泳がなくなって幾星霜というときになって、写真を撮るために海に入ることになろうとは。もう昔のこぼれるような楽しさはない。それでもあのときの足まわりの感覚を覚えている。
(インタビュー)
―今回、PGIでの作品展「春は曙」(2023年2月1日〜3月18日開催)の会期中にお話を伺いました。展示の中に桜島の写真があったかと思うのですが……
楢橋 はい。あれは1989年に撮影したものです。あのときはフェリーから桜島を撮るだけでした。その後、2000年代に入ってもう一度桜島に行ったのですが、そのときは陸続きで。それももう10年は経っていますね。ちょうど今回の展示のために、昨年の秋頃に暗室に入って過去の写真を見返していました。そこでその桜島の写真をみつけ、久しぶりに桜島に行こうと決めました。
―今回は鹿児島からフェリーで渡られたんですよね?
楢橋 そうですね。陸続きの方じゃなくて、鹿児島市からフェリーで片道200円。すごく安い。しかも24時間。フェリーも何種類かあって、結構つくりが違うので乗る度に楽しめるんです。15分か20分おきに出ていて乗っているのも10分くらい。行きたくなるでしょう。
―久しぶりに桜島に行ってみてどうでしたか?
楢橋 やっぱり好きですねとしか言いようがないです。街にいてもちょっと振り向くと桜島の噴煙がみえるところとか。なんだか壮大ですよね。噴煙の被害をあんまり実感できないので、こんな風に無責任なことが言えるんですけど。
―行かれる前に、どう撮影しようかなと事前に考えたりされましたか?
楢橋 行ってみてですね。桜島がドーンとあるのはわかっているので。いままでは鹿児島市内の方に向かって撮っていなかったので、それはひとつ楽しみにしていました。
―桜島でも海に入ろうと思っていましたか?
楢橋 そうですね。撮影しようとは思っていました。入るといっても冬なのでウェーダー(防水ウェア)を着て、足がつかないところまで行くとかはなかったです。桜島に渡ってしまうと、鹿児島市内の街並みみたいなのを撮影するしかなくて、桜島を撮るためには鹿児島方面から撮るわけで。磯というところに行ったんです。そしたら、そういえばここ前も来たなと思って。2005年のときかな。そのときは付け根の方から陸続きで行ったんですけど、がれきばかりというか、桜島の噴火の跡ばかりで、あんまり歩けなくて。桜島が撮れそうなところを探して行ったのが磯でした。海水浴場があって、そこだとズドーンと桜島がみえるんですよ。やっぱり桜島をみていると、もう時間を忘れるような感じがありました。
―写真によって海の色が違うのは時間帯の影響でしょうか?
楢橋 光の加減ですよね。逆光だったり、順光だったりというのが大きいです。2泊3日で行ったんですが、初日の日没ぐらいまでは結構粘って撮っていました。街並みの方に陽が沈むのかな。だから逆光でちょっとモノクロっぽくなっていますね。海の色はどっちがきれいとかはあんまりないと思うんですけど、光の加減ですね。天気と。
―今回「海」をテーマに撮影してみて、改めて意識したことはありましたか?
楢橋 いま撮影ではデジタルカメラにハウジング(防水・防滴加工されているカバー)をつけているので、きりがなくなりますよね。普段より撮ろうとは思ったんですが、かといってそんなにいろいろな方法があるわけではない。桜島もいろんな顔をするけれど、30分でそんなに変わるかというと、ちょっと噴煙が膨らむぐらいです。人間が2日3日撮ったというのは、自然にしてみたらほんのちょっとのことです。逆に時間の悠久さみたいなものを感じました。
―街側からと桜島側からと両方から撮影されましたが、対になっているみたいなことは意識されていましたか?
楢橋 対にして、どうこうというのはそんなにないかな。やっぱり入りたいところからは撮れないので。でもそれでボートを出したりして、こっちとあっちというのをやる意味が私の中ではなかったです。まぁ繋がっていますからね。桜島が入った写真と桜島からっていう写真。towardとfrom。それだけでいいかなという感じです。
―何かご自身の中では変化はありましたか?
楢橋 そんな大きいな変化はないと思います。実感として一番印象的だったのは、海水があたたかかったことですね。撮影したのは、12月の暮れでしたけど、全然手を入れておいても苦じゃないんですよ。お湯に浸かっているわけじゃないんですが、ここにいくらでも入れるなという感じ。あんなにあたたかいとは思いませんでした。測ってはいませんが、外気はそこそこ寒くて10度いくかいかないかくらい。でも水温は10度以上で20度まではいかないくらいだったんじゃないかなと思います。2ヶ月くらい前の水温に影響されているのかなと思うと、9月10月の秋口くらい。タイムラグがあるわけですよ。むしろ春になって、外気が温かくなった頃の方が、水温が思ったよりつめたいということがあります。
―作品展「春は曙」を拝見しました。30年以上前のネガからプリントされた展示ということですが、当時本当にずっとカメラを持って撮影されていたんですね。
楢橋 そうですね。量的にはもっと撮ったことはいくらでもあるんですけど、なんか気持ちというか脳が写真だった頃ですね。なんでも撮っていました。
―意外と海の近くで撮影されたものがありますね。
楢橋 そうなんです。昔から船旅とかが好きだったので。どこかへ写真を撮りに行くとなると、海の方が多かったんです。
―楢橋さんが考える、海の姿ってどういうものですか?
楢橋 それはやっぱり形がないものかな。ひとつじゃないし。海がみえるとほっとするっていうのはありますね。それは撮らなくてもです。視界が開けているからというのはあると思います。あとは日常じゃないからかもしれないです。日常だったら変わってくるのかもしれないですね。
―もう少し海について考えたいなとか、撮ってみたいなと思いますか?
楢橋 海って大きすぎるんで、漠然としますよね。桜島とか御蔵島とか、どこどこの浜とかにまた行きたいとかは思いますけど、漠然と海っていうと、工業地帯にも海はありますし。でもそんなに思考を高めてとかいう感じではなく、ずっと付き合っていくものかなという気はしますね。海は撮影の対象でもあり、撮影しなくてもくつろげるし、飽きないです。海の音をうるさいって思いはじめたら、ちょっとやばいかなと思いますね。写真はこちらから伝えるというより、みた人が何か感じ取れるものがあれば嬉しいなと思います。そこにメッセージ性はないと思うんですよ。
―これからも海のシリーズなどは、続いていく感じですね。
楢橋 そうですね。だから決して目的ではない。海を目指してということではないと思うんです。
―写真行為をする中の、ひとつの場所として海があるという。
楢橋 はい。かなり大きい部分ですよね、いまは。どこかに行く場合、海沿いを選ぶことが多いかなというのは、もう間違いなくそうだと思いますね。
―これからの写真も楽しみにしています。今日はありがとうございました!
楢橋朝子(ならはしあさこ)
東京都生まれ。早稲田大学第二文学部美術専攻卒業。在学中に「フォトセッション」に参加。1989年に初の個展「春は曙」を開催。1990年〜2001年まで自主ギャラリー「03FOTOS」を運営し、積極的に展示をおこなう。1997年に初の写真集『NU・E』を刊行。2000年頃から水面のシリーズを撮り始め、国内外での展示や写真集『half awake and half asleep in the water』、『Ever After』としてまとめられている。日本写真協会新人賞、写真の会賞、東川賞国内作家賞を受賞。2023年2/1~3/18まで写真展「春は曙」をPGIにて開催。合わせて、同名の写真集も刊行された。