みなとラボ通信
Read the Sea vol.3, 前半
2023.05.22
「NAMI2023」
写真家が「海」をテーマに撮り下ろす連載企画「See the Sea」。vol.3は梶井照陰が新潟県佐渡の海を撮影。写真を通し、海を取り巻く自然を感じてほしい。
「風浪」
波は、月の引力による潮汐や地震によっても起こるが、普段私たちが目にする波は主に風によって引き起こされている。風の速さが波の速さより大きくなると、波は風に押されてどんどん発達していく。それを風浪と呼び、やがて船乗りたちも警戒する、尖った形の三角波となる。風浪はその後、波長や周期の長いうねりとなる。今回の撮影では、波を引き起こす源である“風”に焦点を当てて撮影した。
「水平線が黒くなるのが見えると、バンバンと舟の脇を叩きましてね。周りの舟に合図を送り、みな一斉に櫓を漕いで集落へ戻りました」
20年以上前、私が波の撮影をはじめた頃、佐渡北部、願集落のとある古老が教えてくれた。現在、沖で漁をする船には船外機が付いていることが当たり前だが、彼が若い漁師だった頃はみな手漕ぎだった。時化てきたらすぐ戻って来られる動力船とは違い、わずかな判断ミスが命取りにつながったという。古老によると、風が起きると水平線が黒くなり、やがてこちらに風がやってきてその後波が立つ。その話を聞いてからは私も常に風を意識するようになった。
風はそれ自体を写すことはできないが、間接的になら写すことができる。海は常に風によって揺らいでいるが、その表面を撫でるように通り過ぎる風は風紋という形となって結像する。2022年12月、撮影はまず風紋を観察することからはじめた。何時間ファインダーを見続けただろうか。やがて灰色の雲が近づき海が時化はじめると、風に翻弄されるように、もあっとした白い霧状のものが白波とともに上がりはじめた。波の飛沫だ。風紋とは違った形で、風を捉えることができるのではないか。そう考え、それからの2ヶ月間は波の飛沫を撮影し続けた。
冬型の気圧配置になると、衛星画像には日本海側に多くの筋状の雲が現れる。実際、真冬に波の撮影をしていると、筋状の雲の流れを感じることができる。
雲は風を連れてくる。ファインダーを覗いていると次第に水平線が黒々となり、雲とともに風によって巻き上げられた海水がこちらを飲み込むように近づいてくる。波の表面を幾筋もの風紋が流れ、やがて飛沫がバシャバシャバシャとレンズを叩きつける。
筋状の雲と雲の間は、うねりは強いが、10分や15分ぐらいだろうか、風が弱まり、わずかに平穏な時間が訪れる。今回撮影した写真のいくつかは筋状の雲がやってくる直前か直後の一瞬、波しぶきがはっきりとみえる形で風に舞い上がるときを待って撮影した。波は風によって引き起こされるが、ひとつとして同じ表情はない。風によって形づくられる風紋や飛沫は波そのものとは違った動きや表情をみせてくれる。波の奥深さを改めて知ることができた。
海はひとつとして同じ表情がない
―まず「See the Sea」という企画ですが、写真家の方々に「海」をテーマに作品を撮ってもらう連載となっています。「海」はかなり大きな題材なので、捉え方や切り撮り方は人それぞれですが、そういうことも含めて、それぞれの海がみえてくるといいなと思っています。まずは、撮影をはじめる前にインタビューをさせていただきます。いま、梶井さんは佐渡にお住まいですよね。
梶井 そうですね。鷲崎という佐渡の一番北ですね。祖父のお寺を継ぎました。両親は新潟市にいます。
―佐渡で暮らしはじめてどのくらいになるんですか?
梶井 2000年に佐渡に来たので、もう22年ぐらい経ちますね。2008年に『限界集落』という本を出したんですけど、佐渡に住みはじめてから年々人が減って、そのときはまだこの集落は限界集落じゃなかったんですけど、いまはもう限界集落になってしまいました。うちの祖父母がお寺で保育園をやっていて、そのときはこの集落だけで60人ぐらい子どもがいたらしいんです。私もいま、佐渡市立海府保育園というところで園長をやっているんですけど、来たときはまだそれでも10人ぐらい子どもがいましたが、いまは9つぐらいの集落を集めても、駐在さんの子どもひとりだけなんです。来年はもしかしたら休園になるかもしれないです。鷲崎に小・中学校はあるんですが、そこに周りの9つぐらいの集落から児童が集まってきています。確か小学生が3、4人ぐらいで、中学生が2人ぐらいだったと思います。お寺の周りもほとんど誰もいなくなって、空き家だらけです。若い人たちは、佐渡の真ん中あたりに家を建てて住む人が多く、祭りのときにこっちに帰ってくる感じです。普段はお年寄りがほとんどですね。
―写真集にもまとめられた『NAMI』と『KAWA』のシリーズ、あれらの作品は佐渡で暮らしはじめてから撮られたんですか?
梶井 2000年から波を撮りはじめて、2004年まで撮影をし、その年に出版しました。小さい頃から何回も佐渡に来ていて、カーフェリーの中がものすごく揺れたりするあの感じが海だと思っていたので、俯瞰した感じじゃない海の目線で撮りたいというのがありました。あのときはギリギリ海岸の岩のところから這いつくばりながら撮影していたので、何回かちょっと流されかけましたし、カメラもビチョビチョになっています。写真集の波は見開きの左と右で微妙にコンマをずらして撮影しています。完成されていない姿というか、一瞬の揺らぎみたいなのを撮りたいと思っていました。
―海や自然がつくり出す光景ですね。
梶井 何度もみていますがひとつとして同じ表情がないっていうのは感じました。ずっとみていると風向きとか波の高さとか、どんどん変わっていくんだなぁと。空のわずかな光の影響で雲がちょっと薄くかかったりすると海の色もどんどん変わっていったり。あと雨がすごく降ると、陸から流れてきたちょっとした土の色で緑色になったり。波だけじゃなく陸の土の影響も受けているんです。
海と山、全部が循環している
―お住まいから海は近いですか?
梶井 歩いて3分くらいで眼の前の下がすぐ海です。
―そんなに近いんですか。
梶井 はい。2016年ぐらいから船にも乗っています。自分が食べる分も取りに行きますし、漁をしてそれを出荷したりもしています。普段の暮らしから海と密接に関わっていると思いますね。
―漁をして、出荷までされているんですね!海が身近というか暮らしの一部ですね。
梶井 そうですね。朝4時半ぐらいに地元の漁師さんが両津の市場まで魚やサザエを運搬してくれます。それが両津の市場で競りにかけられるという感じです。サザエの場合、サザエ網という網が250mぐらいあり、船をバックさせながらずっと網を仕掛けていきます。私の場合は網を上げる機械がないので、翌日全部手で上げているんです。あと「引き釣り」というのがあるんですが、それだとブリとかシーラが揚がったりします。12月ぐらいからはナマコのシーズンで、ナマコを取るのに何メートルも竹を切ってきて、その先に4つにわかれたトゲトゲの針を付ける漁具を自作します。それを船の上から箱眼鏡でみながら突きます。他にも養殖ワカメをやっているので、3月ぐらいはワカメを取ったりですね。海だけでなく、畑も田んぼもやっています。残渣(ざんさ)というワカメの使わない部分を肥料にして畑に撒いたり。海のものや魚とか食べた残りもの、山に積もった枯葉とかを、大体畑の堆肥にしています。海のものを利用しながら、畑にも使ってという感じで育てています。海と山、全部が循環している感じです。
―海と共に暮らしがあって、全部に繋がっているんですね。しかも海だけでなく、その周りにある自然すべてが影響してくるという。
梶井 櫓(ろ)という船を漕ぐものがあるんですけど、昔の佐渡ではエンジンがない船でよく使われていて、90代ぐらいのお年寄りはみんなそれを漕いで漁に出ていました。私はいまも使っています。たらい船とかで使う櫂(かい)でも漕いだりするんですけど、サザエ漁のときはエンジンを止めて、櫂を潮の流れを感じながら読み、向きを微妙に変えて船を操縦していくんです。上にみえている波と底の潮の流れが全然逆方向だったり。櫓や櫂を使って、風と波と潮を考えながら漕いでいます。みえている世界だけが海の表情ではなくて、その下の層や底の方はまた全然違う表情があるんだとわかります。
恵みを与えてくれる一方で、全然違った姿もみせる
―住職でもある梶井さんはどんな感じなんですか?
梶井 なんかいろいろやっていて。朝はお経を唱えていますし、毎月15、21日はお寺におばあさんたちが来てお念仏をしたりするので、一緒に話したりしています。1月3日から15日まで一軒一軒回って、太鼓を叩いて、佐渡中の神々に祈祷を行うんですが、それもすっかり減ってしまって。空き家なので回らない家が増えていますね。祭りを続けていくのも難しくなってきました。8、12月はお盆や年末の集まりがありますね。あと、節分のときにはお護摩を焚いたり、あと施餓鬼供養や水子供養をしたり、法事やお葬式もあります。
―それらに加えて、写真も撮られるんですよね。
梶井 そうですね、合間に。仏事とかが入るときは撮りにいけないですが、基本的にはそれらが終わって戻ってきてから、波や海を撮りに行ったりしています。あと限界集落の写真はもうずっと撮っています。
―仏教の中で海は何か特別な意味合いがあったりするんでしょうか?
梶井 海というか、私がお寺で管理してる賽の河原という場所があるんですが、そこは賽の河原の前に海がずっと広がっているんです。それを三途の川に見立てていて。賽の河原はこの世とあの世の境という意味で、賽というのはサイコロの賽とも言われています。境に流れているのが三途の川で、佐渡の方だと海がその三途の川で。佐渡の北部ではそういう意味合いなんです。佐渡だと精霊流しをするのも海で、海があっちの世界。だから海の向こうから先祖が戻ってくる。こういうイメージは佐渡独特なのかもしれないですけど。
―お盆の時期も何かあるんですか?
梶井 8月1日になると佐渡の海岸沿いは、竹で十字の形にした4mくらいの竹を立てて、そこに提灯を付けたりして、向こうの世界から先祖が戻ってくる目印になる高灯籠っていうのを、先祖をお迎えする海沿いにあげています。集落によって違うんですけど、隣の隣の集落とかは各家でお盆になると16日の朝くらいに麦とか藁で精霊船をつくって、先祖がまた向こうの方に戻っていくときに、お盆期間中に家でお供えしてたお団子とか、ナスでできた牛などをその船に乗せて、海に流したりしますね。過去と現在とあの世とが海を通して繋がっていると感じます。
―海で印象に残っていることはありますか?
梶井 私の親戚が福島や岩手の三陸の方に住んでいたんですけど、2011年の東日本大震災のときにその親戚と全然連絡つかなくなってしまいました。3月中にいろいろな物資を持って、その親戚の家に行ったら津波で家も全部流されていた感じでした。これまで海は何か恵みを与えてくれるものだと思っていたんですけど、一方でそういうすごく恐ろしい姿もあるんだということを実感しました。
―その後、ご自身が漁に出るとき、恐怖心は出たりしますか?
梶井 漁に出ているときに地震が起きたり津波がきてもよくわかんなかったりする可能性があるので、もしそうなったら多分もう逃げられないなっていう、そういう怖さはあります。最初に陸前高田に行ったとき、海が何もみえない山のところでも家が全部流れていたので、あまりにも衝撃的な状況で、海ってこんなに恐ろしい姿をみせるのかという感じを受けました。海はいろんなことを教えてくれる存在です。先ほども言った通り、恵みも与えてくれる一方で、全然違った姿もみせてくれます。生活の上でも大切で。なんて伝えたらいいかわらないんですけど、いろんな表情があるんです。
―さまざまな海の姿をみてきて、今回ご自身の中でこういう海を撮ってみようというイメージはありますか?
梶井 浮かんではいるんですけど、いろいろ工夫をしながら撮り進めていきたいと思います。
―身近にあるからこそいろいろなアプローチの仕方があるなと思いました。どんな写真をみせていただけるのか楽しみです!よろしくお願いいたします。
梶井照陰(かじいしょういん) 1976年、新潟県出身。高野山大学密教学科を卒業し、2000年より佐渡島で暮らしはじめる。2004年、佐渡の波を撮った作品で第1回フォイル・アワードを受賞 。同年『NAMI』を刊行。2005年、本作にて日本写真協会新人賞を受賞。その他の写真集に『KAWA』、『DIVE TO BANGLADESH』、フォト+ルポルタージュ『限界集落』などがある。現在、佐渡島最北の鷲崎にて祖父のお寺を継ぎ、住職をしながら写真家として活動。好きな海の生き物はイワシ。