みなとラボ通信

Read the Sea vol.5, 前半

2023.08.31

安藤瑠美

Imagine your sea

写真家が「海」をテーマに撮り下ろす連載企画「See the Sea」。vol.5は安藤瑠美が生まれ育った瀬戸内の海を撮影。窓からみえる海に思いをはせる。

幼い頃、眠れない夜には、布団の中で海のことを想像した。

瀬戸内のおだやかな海。

浜辺で聞いた波の音や水面に体を浮かせるような感覚を脳内で再生しては、長い夜を楽しんでいた。

今回、当時の朧げな海のイメージを頼りに、瀬戸内を旅することにした。海のみえる宿を選んで、波の音を聞きながら夜を過ごした。

目の前に実在する海と、記憶の中にある海が交差する。

さざなみと静けさが同居する。

旅の終わりに、幼い頃過ごした実家に辿り着く。

窓を覗くと、そこには再び海が存在していた。

波の音を頭の中で思い浮かべる

―「See the Sea」は、「海」をテーマに写真家に作品を撮っていただく企画です。安藤さんがごみの埋立地「夢の島」と近隣の処理施設を撮影した『dream islands』(http://rumiando.com/dream-islands/)を以前みたことがあり、印象に残っていました。さらに、そのあと発表された東京の都市を撮影、レタッチした『TOKYO NUDE』(http://rumiando.com/tokyo-nude/)を拝見し、街並みや建物など人工物を撮影し、作品をつくられる安藤さんが、「海」という自然をテーマにしたらどんな写真を撮られるのだろうと、お声がけしました。まずは撮影前に、いま「海」に対してどのように思っているかお聞きしたいと思います。安藤さんはご出身が瀬戸内ですよね?

安 はい。出身は岡山県です。備前市という兵庫と岡山の境です。海も山も近くにあるちょうど谷沿いの街が地元です。普段から家族や友達と一緒に海や山に遊びに行ったりしていました。

―海が身近にあったんですね。海の思い出はなにかありますか?

安 家族とよく行った潮干狩りですね。大人はその日の食事になるのですごく必死なんですけど、子どもはすぐ飽きちゃうんです。きれいな貝殻を拾ったり、波を追っかけたりしても30分〜1時間くらいすると飽きてきて。だからあとはもう途方に暮れるだけです。その途方もなさを思い出しますね。塩の匂いや砂のザラザラした感じが子どもの頃の濃い記憶として残っています。

―それは楽しかった思い出ですか?
安 そうですね。みんなで行くのは基本、楽しかったです。もう少し大人になってからは、青春18切符で四国の方まで友達と遊びに行っていました。瀬戸大橋を渡るときのスケール感や直島、豊島、小豆島などの島々をフェリーで渡ったことが、すごくいい思い出としてあります。日本海とか太平洋と比べて瀬戸内海はおっきい水溜りみたいな感じなんですよね。そのおっきい水溜りというか池というか湖というか、それを周りのいろんな県の人とシェアしているようなイメージです。だから海を伝ってあの辺の人や自然とは繋がっている感覚があります。海を眺めていても、そんなに怖いとか寂しいという気持ちはありません。実際に島がぽつぽつとみえるので、その向こう岸に誰かがいる、何かが繋がっていると感じられ、おだやかな気持ちになれます。

―「海」と言われたとき、どんなことを思い浮かべますか?

安 私にとって海というと、瀬戸内海がまず頭に浮かんでくるイメージですね。このお話をいただいて、いろんな海のことを考えたんですけど、やっぱり瀬戸内の海を撮ってみたいなと思っています。あとは、なんか平べったい感じですかね。水平線みたいなイメージです。

―いまは東京にいらっしゃいますが、海を身近に感じることはありますか?

安 夫が昔サーフィンをやっていたので、彼がはまっていたときはよく行っていました。私は泳げないのでみる専門でしたが、海との向き合い方が全然違うんです。挑んでいるのか、戯れているのかわからないですが、海をすごく動的なものと捉えている感じがありました。私はぼーっと眺める専門だったので、アクティビティとしてはみていません。みる側の視点ですね。それでも十分楽しいし、飽きません。朝焼けや夕暮れとか、空と水のグラデーションとか、すごくきれいです。最近は海に行ってぼーっと眺めるようなことはほとんどないです。けれど小さい頃寝れないとき、波の音を頭の中で思い浮かべ自分から眠りにいざなっていたんです。ホワイトノイズというみたいなんですけど、結構解放されます。それがお気に入りの睡眠法でした。泳げないから基本は海に浮かんでいるイメージで、実際は多分そんなことできないんですけど。

人に求められて作業するのは仕事、人に求められる以上は作品

―いまの作品は都市や人工物を撮ることが多いような気がしますが、自然よりもそういうものに惹かれているのでしょうか?

安 身近にあるものが建物というのがいちばん大きい理由ですね。上京した頃は、威圧感というか閉塞感みたいなものがすごく苦手だったんです。しばらく体調も良くなかったんですが、その苦手を克服したいと思い、都市の中に自分の心が安らぐ瞬間をみつけようと思いました。すると、ふとしたときにあっ!いいかもと思える瞬間があって。そういう写真を撮っていました。完全に自分のためです。眺める対象が、自分の住んでいる環境によってちょっと変わっていったということですかね。より自分のイメージに近づけるため、写真を撮ったあとレタッチ(画像編集ソフトを使い、写真に加工や修正、合成などを行う作業)でその風景をより絵的につくり込んでいきました。ある意味眺めているんですよね。ぼーっと眺めて、心地良いもの。ただ100%心地良いというよりは、何かしら不穏なものが作品に表れるんです。誰もいないとか、広告物やドア、窓とかいろんなものの情報を削いでいるので、どこかしらに違和感がうまれます。最初、ある程度ルール化したのですが、必ずしも絵的にいいなと思うものにはならなくて結局そこから多少逸脱したり、カットしたり試行錯誤していきました。

―それが『TOKYO NUDE』のシリーズになっていった感じでしょうか?

安 当時、いろんな写真をレタッチする仕事をしていました。あるとき、電柱がたくさん写っている写真を全部消してほしいといわれ、変なスイッチが入っちゃって。とことん消してやろうと思ったんです。作業をはじめると、意外と気持ちがすっきりしました。人に求められて作業するのは仕事だけど、人に求められる以上に何かを消したら、それは作品なんじゃないかと思って。それから過剰にいろんなものを消していきました。なんかもう狂っているなと(笑)。仕事だったら絶対鬱になると思ったので、これは趣味ですと。趣味だったらもうしょうがないなと思うようにしていました。ただ塗り潰してしまうと、途端に下手な3D画像っぽくなるので、ちまちまテクスチャーをいかして消していくという実験的なことをやっていました。意外とみたことがないようなものができておもしろかったです。レタッチ前後で結構変化がある方が個人的には嬉しいですね。

―撮るときから完成のイメージが出来上がっているんですか?

安 どうでしょう。やっぱりいいなと思うからシャッターを押すんですが、そのときにあったイメージと完成のイメージがまったく一緒ということは、ほぼないかもしれないです。やっていくうちにどんどんつくられていく感じです。1度撮って、1、2ヶ月ぐらい放置して、時間ができたときにもう一回見返し、確かこれがいいと思ったんだよなと思い出しながら作業をしていきます。しっくりこないときは、その全部を無視して色を変えたり、雲を合成したり、色々です。撮っては置いて、作業して、みて、もう1回作業してみたいな感じでネチネチやっています(笑)。ただ全部を消すと建物はただの箱になってしまうので、階段は残すけど、その階段はまったく意味をなさないみたいな変な楽しみをつくっています。風景を抽象化すると普遍化するみたいなことに興味があります。

写真の中だけで世界観をつくる

―安藤さんは元々、絵を勉強されていたんですよね?

安 はい。でもいまつくっている作品のような絵は描いていませんでした。元々、絵はこの色とこの色がきれいという色の響き合いが好きで、具体物は描けなかったんです。浪人中、予備校の講師の勧めでコラージュを教わりました。自分の写真や雑誌の切り抜きを平面上にコラージュして風景をつくるので、絶対的にちゃんと形が出てくるんです。構図が生まれるというか。それが楽しくそこからいろんな写真や昔の絵画、あと日本の大和絵みたいなものを研究したので、それは影響していると思います。

―そのときにコラージュを。

安 そうですね。コラージュってすでにあるものを再配置していくので、理想のものにすぐに近づけられるというか。一から描いていくと結構大変なので、そういうところも写真に近いですよね。トリミングしたり、レタッチしたりとか。既に写真は形があるので、そこからうまく調整していくみたいな感じですね。

―構図の面白さみたいなものは『dream islands』をみても思うのですが、あれはどんな風につくられたんですか?

安 上京してきたとき、地図をみるのが好きだったんです。そのとき、「夢の島」という名前をみつけて。なんかイケてない名前だなと思ったんです。その場所を調べたらごみをめぐる環境問題があったんだと知り、そのギャップがすごくおもしろいなと思いました。画像検索をすると、一時期新聞に載っていた報道写真しか出てこなくて、いまの風景が載っていなかったんです。撮影に行ったんですが、最初はテーマもなく何を撮ればいいかもわからなくて。それこそ報道的にごみばかり撮ったり、全体を収めようとしていたんです。でもあんまり良くなくて。次に行ったとき、一時期の過熱報道からある種みんなに忘れ去られているというか……みんなが消費していったものの最終地点としてひっそりと広がっている風景に哀愁があるなと気づきました。それをちゃんとおさめたいと接写でつぶさに撮ったら、なんだか愛おしい風景にみえたんです。水場がたくさんあり、汚水を張る巨大な湖とかバイオ処理するろ過施設とか水辺の風景がとても豊かで、それを集中的に撮っていたらどこかの湖畔みたいにみえて、これは美しいかもと。実際は全然汚いし、すごく臭いんですけど、でもそのギャップがおもしろくて。写真になると、どうしてもそこの現場の情報をだいぶ削いだものになってみんなに伝わっていくんです。ある意味、それも虚構の「夢の島」というか。その写真の中だけで世界観をつくることに興味がありますね。

一個人として海と関係がない人ってほぼいないと思う

―今回、「海」を撮ってくださいという依頼でしたが、最初どう思われましたか?

安 都市や街はあるんですけど、自然でしかもテーマが「海」とすごく広い。んー、私でいいのかなって。でも、そのテーマの広さに逆に救われたかもしれないです。一個人として多分海と関係がない人ってほぼいないと思うんですよね。なので、そこは自分の記憶と向き合うためにも何かやってみたいなと思いました。改めて作品にするいい機会だなぁと思っています。

―事前にコラージュのような撮影イメージをご共有していただきましたが、どんなところから着想されたんでしょうか?

安 そうですね。元々写真を使ってみたことがないものをみてみたいという気持ちが強くあります。今回は特に先ほどお話しした眠るときの海の風景とか波の音とかそういうものを作品化したいなと思ったんです。それで室内から窓の外に広がる海に到達するみたいなイメージでつくりたいなと。瀬戸内の人はそういう風景をみているかもしれないですが、それをただ撮ると本当に日常になってしまうので、そこにコラージュ的なギミックを入れ、もっと脳内イメージっぽくしてみたいなと思っています。

―面白そうです。どんな作品を拝見できるか楽しみにしています。撮影よろしくお願いいたします!

安藤瑠美(あんどうるみ)

岡山県生まれ。2010年、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業。2015年、アマナグループの株式会社アンに入社。2021年に独立し、フリーの写真家、レタッチャーとして制作を続けている。2019年にTHE REFERENCE ASIA「PHOTO PRIZE 2019」ナタリー・ハーシュドーファー選優秀作受賞。写真集『TOKYO NUDE』では、都市の看板や窓などの情報をレタッチし、どこか違和感のある作品に仕上げている。好きな海の生き物は「桜貝」。