みなとラボ通信

Read the Sea vol.7, 後半

2023.11.21

写真家が「海」をテーマに撮り下ろす連載企画「See the Sea」。vol.7は濱田晋が鎌倉の海で撮影。海岸を歩くことで感じる海への個人的な目線。

みつけて採取して眺める

―撮影ありがとうございました!前回、ビーチコーミングの写真を撮ろうかなとおっしゃっていましたが、どちらで撮影されたんですか?

濱田 鎌倉の材木座海岸というところに行きました。ピークは越したようで、みたことないボートの大会をやっていたり、ビーチチェアの上で日焼けをしている人がいたり、子ども連れの家族がいたりという感じで穏やかでした。息子と妻も一緒に行ってきました。もちろん体感的に音は聞こえるんですけど、海岸を歩きながら何かないかなと探していると、あんまり音を意識しなくなっていて。わからないですけど、普段よりもより何かをみつけるための作業として集中していたのかもしれません。だから音っていうものがなかったなというか、耳で記憶していることがそんなにないんですよね。

―モノクロとカラーで異なるみせ方になりましたが、どういう経由で撮られたのか教えてください。
濱田 白黒にすると視覚的にもいろんなものが排除されるので、風景写真は白黒にしました。拾い上げたものはよくみたり手触りを確かめたり、五感でしっかり残ってるものなのでそのままカラーにしました。下に紙を敷いたのは、等価にみせるためです。いろんなものが落ちているなかでこれらを選んだ。それをただシンプルにみせたかったのですべて白に統一しました。

―撮影に行くまでは、拾い上げるものだけのイメージだったと思いますが。

濱田 そうですね。行った時間帯はすごく潮が引いていて。砂が風で変わっていく感じ、落ちている木、一定の場所だけにできた水溜まりとか何か引きずった跡。そういういろんな要素が目に入ったので、街を散歩しながら撮る普段通りの感覚になりました。

―その中でも2つをみせようとなったのは何か意図があるんですか。

濱田 素直にいえば、当初想像していたような絵に描いたことは起こらなかったんです。落ちているのも大体貝殻とか陶片で。陶片はみつかるといいなと思ったんですけど、やっぱり石、砂、岩とかなんですよ。他には本当に何か検討もつかないようなものとか、プラスチック片だったり。変わったいろんな種類のものが撮れたらそれだけで構成しようと思っていたんですけど、正直自分がほんとにグッときたものだけを集めようと思ったらこのぐらいの量しかなかったんです。中には息子が拾ってくれたものもあります。だから自分が普段からやっている「みつけて採取して眺める」という行為すべて入れてみようと思い直して、気になった風景も撮影しました。自分が普段している写真表現も基本的に一枚でみせるということではないので。ZINEをつくったりしているときみたいに、ページ編集の頭になりました。

―モノクロとカラーの撮影は同時並行でおこなっていたんですか?

濱田 風景は拾いながら撮影して、拾ったものはその場でジップロックに入れて撮影せず持ち帰りました。帰宅後に家の近くの夕日が差すところに紙を敷いてひとつずつ撮りました。そのときの砂とかも全部入っているので、それらもすべて出して撮影しました。

多分人間って、海の周りにあることを覚えているんだと思います

―普段歩きながら撮られることの延長で今回も撮っていただいたと思うんですが、そのときに意識するのは、やはりテクスチャーみたいなものに目がいくのでしょうか。

濱田 テクスチャーって言い方が正しいかはわからないですけど、誰かがいたとか、何かがあったとか、みえない気配みたいなものに自分は惹かれます。海そのものを撮影していないのもそういうことが関係しています。

―海を写さないというのは、濱田さんと海との距離がちょっと遠いかもというところもあるのでしょうか。

濱田 話的にはそういうつなぎ方はできるかもですが、自分ではそんなことはないと思っています。深層心理的にそういうことも作用しているのかもしれないですが。素直にいうならば、「海」をテーマに海そのものを撮りたくないなっていう、自分の性格的なところもありますね。今回行ってみて、実際海を前にするとやっぱり気持ちいいなとか、広くて清々しいなって気持ちになったんです。でもそれって五感で感じた方が絶対いいんですよ。写真には限界がある。だから、海の気持ちよさを写真で表現するよりも、歩いて自分が気になったところが一番自分っぽくなるだろなと思って撮っていました。

―濱田さんにとってその場所に行くことはとても重要だと思うのですが、海に行ってやっぱりこれが大事だなと思うことはありましたか。
濱田 僕みたいに潮風がいやだから行かないとか、やることないから行かないではなくて、行ってみたらわかることや思いも寄らなかったことってあると思うんですよ。だからなにも考えず、一回行ってみたらいいんじゃないかなと思います。今回の企画は写真で表現するということだったので、行かずとも色々想像してもらえたら嬉しいですけどね。

―そうですね。どちらのシリーズもその対象から色々と想像できるというか。みる人によって違うし、それは面白いですよね。

濱田 帰ってから拾ってきたものを撮影していたときに思い出すことって、どんな音がしていたか覚えてないなとか、これ息子が拾ったけどどこが気になって選んだんだろうとか、拾っているときの姿、歩いているときに自分が考えていたこと、そういう細かな“点”の部分しか覚えていないんですよね。最初、今回のタイトルを「letter」にしようと思っていました。でもその“点”みたいなことを考えていたときに、「kibi」にしようと思いました。すべてつながっているような、そんな気がしたので。

―kibiって、微細な変化とか移り変わりとかのことですよね。

濱田 そうです、それなんだなと再確認した感じです。自分がすごく大事にしたい、ないがしろにしたくないなと思っているものって。

―「letter」というタイトルにはしなかったですが、セレクトした写真には入っていますよね。

濱田 それは思い出ですね。息子が書いたんですけど、letter って書いてとお願いしたらわかんないって。でも頑張って書いてくれたなとか、そういうことが残っています。海ってそういう場所かもですね。

―そうですね、ここに写っていないものを思い出すためのものというか。

濱田 多分人間って、海の周りにあることを覚えているんだと思います。前半の話もそうですけど、あの海は溺れかけたけど家族と行ったなとか。高校生のときに須磨海岸に強面の友だちと行って、そいつが海から上がったときに財布がなくなったっていうから、どんな財布?って聞いたら、「ジュラシックパーク」って言っていたことだけをすごい覚えているとか。海ってそういう付随したことがなんか大事なんだなぁと、こうして話していると色々思い出しますね。その須磨海岸は実家から近いので、毎年ではないですけど帰省したときとか、暇なときは行ってます。夏じゃない海は割と好きですね。

海はすごく開かれたフィールドであることは間違いない


―今回、撮影したことで海に対して自分がなにか変化したことってありましたか?

濱田 いま話したように、暑くない時期、人も少ない時期ならプラプラひとりで考えごとをしたりもできるなと思いました。海と対峙してちゃんと音を聞くでもいいし、水筒にコーヒーとかを入れて持って行って誰かと話すだけでもいいし。すごく開かれたフィールドであることは間違いないなと思いました。

―使い方といったら変ですけど、海はそれが限定されてないというか。

濱田 そうですよね。結構みんな自由にしているし、案外周りを気にしていない。あの人何しているんだろうというよりは、各々自分だけの世界に入っている感じがしました。海は夏のものじゃなくて、どんな季節でもいつでも誰にでも開かれていると感じましたね。

―海についてもっと知りたいとか海についてもう少し考えたいとかはありますか。

濱田 難しい質問ですけど……。でも海の変化はこれから先、子どもたちにも影響する話だと思うんで、自分のできる範囲で情報を得たりして注視していかないとダメかなとは思ってます。

―最後に子どもたちに伝えたいことありますか。

濱田 特別な行事がなくても、気が向いたら行ってみたらいいよって感じですかね。すごいことだと思うんですよ、あんなに未知で大きな自然物がいつでもそこにあるって。友だちとでも恋人でも家族でも、悩みや普段言えないようなことも話し合ったり。そういうことができてしまう空気が、海にはあるんじゃないかなと思います。

濱田晋(はまだしん) 兵庫県生まれ。ポートレイト、ドキュメンタリー、取材の分野で撮影を行う。近作に作品集「ECHO」、「あたりまえのことたちへ Ⅱ」、「岩・紙・風」、「Tokyo」2022年より思考実践プロジェクト「HAMADA ARCHITECTS™︎」を始動。好きな海の生き物は「ホホジロザメ」。