みなとラボ通信

Read the Sea vol.8, 前半

2024.01.22

写真家が「海」をテーマに撮り下ろす連載企画「See the Sea」。vol.8は原田教正が八丈島を撮影。海を渡った先にある風景とは。

「計画と偶然」の前段階として「観測」を実践してきた

―まず「See the Sea」という企画ですが、写真家に海をテーマに撮影をしていただくというものです。まずは撮影前にお話をお聞きできればと思います。海と聞いて思い出す場所はありますか?

原田 祖父母の家が三重県にある海岸の目の前でした。堤防の上を道路が一車線走っていて、そこを降りたところにありました。夏に訪れると海に入ったり、海の前で長い時間を過ごしていました。自分が物心ついた頃は伊勢湾がすごく汚くごみも多い時期で、よくあんな汚い海にたくさん人が集っていたなと思います。いまは真っ白できれいな砂浜と松の防風林が海岸線沿いに続いています。そういう意味では海に触れる機会は多かったかもしれません。

―海の思い出と聞かれると、そこが思い出されますか?

原田 そうですね。でも子どもの頃は海が好きじゃなかったんです。いまはそんなことはないんですが、海に入るのが怖いと思っていました。昔のホームビデオに泣き叫ぶ姿がまだ残っています。中学生くらいの頃は多分おばあちゃんに会いたくて行っていて、高校生になってからは思春期のひと夏、親と離れて祖父母の家にいるので、自分だけの時間がつくれました。目の前に海の景色があって、ちょうど写真をはじめたタイミングでした。
―高校生のときに写真をはじめられたとのことですが、何かきっかけがあったんでしょうか。

原田 あまり思い当たることはないんですが、怪我をしてスポーツをやめたんです。部活とかそういうことはもうしたくなくて、ひとりでいる時間がほしかったんです。少し絵を習っていたんですが、どこかリアルではないから没入できませんでした。感じていることをアウトプットするという意味では、もちろんリアルな部分はあるんですが、ないものを二次元の中に描いている感じが腑に落ちませんでした。当時、もしインスタレーションや立体物などにもっと自分の理解があったらそういうことをやっていたかもしれないです。写真はひとりでできるし、リアルな感じがすごくいいと思いました。小さい頃からよく「写ルンです」を渡されて祖父母といる夏や家族を撮ったりしていました。撮ること自体、自分の中では特別なことだとは思っていなくて、なにかやろうと考えたとき、写真をやってみるかなぐらいの感覚でした。写真はパッと押して、すぐ答えがみえるじゃないですか。そのレスポンスの良さは自分にとって大きかったんだと思います。だからそのままスッとはまっていきました。

―自分の中でこれだなとしっくりきたんですね。

原田 はい。でも家族や恋人を撮ったりするのは大学1、2年生頃まででした。どんどん人と関わりながら撮ることに興味を失っていって、もっと抽象的なものを撮りたいと思っていました。それで漂流物とか人じゃないものを撮りはじめたんだと思います。ホンマタカシさんが「NEW WAVES」という波の写真を撮っていましたが、自分も高校生の頃その存在を知らずにずっと撮っていたんです。続けていたら自分の肥やしになっていたかもしれないけど、途中でやっている人がいると知って、やめてしまいました。

―そうやってひとつのものを眺めたり、定点しながら変化をみていくことに元々興味があったんでしょうか。

原田 定点的なことに関しては、僕のオリジナリティというより写真家の山崎博さんの影響が大きいです。大学時代、山崎さんに教えてもらっていたんですが、「計画と偶然」とよく言っていました。あるとき「この窓をずっとみてろ」と山崎さんの隣に座らせられたんです。隣り合って正面を向きながら窓をみていて、なんか変わったか、どこが変わったかと聞くので、僕が「葉っぱが揺れていますね」とか言うんです。同じ絵の中でもずっと感じ続けるということが、写真をやるはじまりの部分として一番大事なんだよという話をよくされていました。山崎さんの「Heliography」という海と空を画面の中で真っ二つにして、そこに太陽が横に登っていくというギミックの効いた写真シリーズがあります。「計画した者にのみ、その偶然が訪れる。写真っていうのはその計画の先にある偶然をいかにコンセプチュアルに写すか。コンセプトを立てるよりもまず写真という行為について、深く考え、被写体と向き合って観察することをしっかりやること。そうすることで結果的に偶然につながっていく」というようなことを言われました。そこからより力を入れて観察的な作品をつくるようになりました。それらをまとめて、平野太呂さんがやっていたNo.12Galleryで「観察と観測」という写真展をやったこともあります。そこから写真集『Water Memory』まで10年くらいそういう定点的な写真をやっています。

―被写体との距離感はどんなものであってもあまり変わりませんか。

原田 この1、2年は意識的に少し変えている部分はありますが、『Water Memory』までの基本のベースは被写体がどうかということよりも、とにかくこちらは動かないことを仕事でも作品でもかなり意識してやっていました。こちらが動くと向こうが動いたことがわかりづらくなります。僕がじっとしていれば、向こうの変化を鮮明に把握することができます。写真ってやはり変化をどうとらえていくかだと思っていて。自分も変わるし、被写体も変わる。社会も変わるからその要望や時代に合わせて動いていくと、確かにエモーションにはなるけれど、自分が何をしたのか、何を考えていたのかってことがわからなくなってしまいます。だから軸を持って、じっと周りの変化に神経を研ぎ澄ませています。地味な写真だけどじっくりみていくとその変化がみえるという方が写真らしいなと思っています。山崎さんが言っていた「計画と偶然」ではないですけど、自分はその計画の前段階として「観測」というのを学生の頃から30歳くらいまで実践してきました。計画以前の、みるということを鍛えるところが根っこにあります。自分のスタイルは割と普遍的で王道っぽいところもあるので、もしかしたら飽きてしまうかもしれないけど、自分のためにも続けた方がいいなと思っています。人が求めるものより自分がやりたいことをと、思っていたんですけど、最近は少しそこを崩していっています。自分も動きたいなと。

―それは何か変化があったんですか。

原田 社会やいろんな事象、そういうものに自分はこう思う、こう感じると、人よりはっきり持っている方だと思います。それは良くも悪くもある程度みるということが自分の中でできてきたということです。じっと観察するフェーズは一旦終わりにして、もう少し自由にいきたいというか。最近小さなカメラを使って、自分の日常を撮ることを再開しました。この4、5年はほとんどそういうことをやらなかったので、コンパクトカメラを持っていると自分もカメラも動かなきゃいけないので変わってきたのかなと思っています。
―そういうとき、被写体として気になるものも変わってくるんですか?

原田 気になるものはそんなに変わっていないです。自分はあまり被写体を探すという考えで写真を撮っていません。被写体を探すこととテーマを決めることは同義的なことだと思っています。先に何をするか決めて写真をやるのは面白くないなと。明確にこういうことを世の中に訴えたいというのがあってやる場合は面白いと思いますが、もうちょっと難しく考えてやりたいという気持ちがあります。漠然ととらえながら、そこから色々採取して最終的にこういうかたちのものになってきたというのを時間をかけてつくりたいですね。かわいいなと思ったからその顔を撮るのではなく、いい意味でもう少し距離を持ちながら、体感的に撮ることを大事にできたらいいなと常に思っています。

海は摂理を教えてくれる場所

―現在、原田さんは海と関わりがあったりしますか。
原田 仕事で月に何回か鎌倉に行くのですが、帰りにひとりで海に行ったり、海の音を採取してつくられたアンビエントの音楽を聞いたりします。自分にとって凪の状態をつくるという意味ですごく密接なつながりがあるかなと思います。あとは漂流物の作品「a Shape of Material」をつくったことで、色々考えることはありました。海は摂理を教えてくれる場所だなと思います。摂理ってすごく残酷なんですよね。海そのものをみて摂理を感じることは難しいけど、たとえば漂流物をみたとき、人間がつくったプロダクトやなんてことないペットボトルがなんらかの理由で海に放り出されてしまう。ペットボトルは飲み物を入れる道具として機能していますが、空っぽになって手放された瞬間、その機能を失ってしまうわけです。でも仏教的価値観で考えると捨てられたペットボトルにも意思や魂みたいなものが宿っているんだと思います。勝手に放り出されて完全に分解されることは難しいけれど、さまざまな要因や分解でダメージを負っていく。最初の役割を満たしていたきれいなところから、どんどん劣化していく。人間もそうですし、すべてのものは劣化するけど、異物として分解されず摂理に反する部分と則る部分とが両方垣間みえてきます。ものをずっとみることで、そういうことに気がつくということが一番のポイントかなと思っています。

―「a Shape of Material」を通してそういうことを感じられていたんですね。

原田 元々環境のことを意識して撮っていたわけではありません。無邪気な気持ちでみていたものが、社会が変化していくことで許されないものになっていく。そうした社会や自身の価値観の変化があったとしても、自分の写真を変えるより、当時は環境のことなんて考えずに撮っていたと認めた上で、いまどうみえるのかを考え直すかたちで発表しました。たぶん海ってもっと全然違う側面として考えなきゃいけない部分があるのかなと思います。環境問題は実際あるんですが、どうしても感情とか人として海をどうみているかというような、違うことに向かっていかないと海そのものの情緒みたいなものが、頭の片隅に追いやられてしまうような気がしていて。その情緒をもう一度考えることで、ようやく環境を大事にしなきゃとか、そういう考えへシフトしていくんじゃないかなと思っています。

そこを辿っていったときに、海ってその摂理を体現しているんだよなと思いました。水と塩分がなければ生きていけないけど、水と塩分が襲ってくることによって死ぬこともある。飲み込まれることによって、分解したり腐敗したり、きれいに戻るものもあるし、戻らないものは癌細胞的に残ってしまう。体の中の縮図を体感的に海でみさせられているような気がします。海で出合ったことに自分の中での気付きや考えを置き換えながら、咀嚼していくようなことをしているのかなと。

―原田さんの作品の中で「水」はひとつ、キーワードになっているのかなと思いました。

原田 人間ってそもそも水からできているといわれますが、海はやはり根源的で仕方がないものとして受け入れられる何か特別な包容力というか、飲み込む力があるのかなと思っています。なんというか巨大なエネルギーというか、どうしようもないおっきい存在に思っていて、そういう意味で「水」を意識するようになったというのはあるかもしれないです。

―そんな中、今回「海」という大きなテーマをお渡しして撮影していただきます。

原田 「海」とお題をいただいて、そこから自分にとっての海とはなんなんだろうと考えるようになりました。いままでだったら、海を観察し、観測的に撮ってみようと思うんですが、今回はそこから外れ、体感的に海をとらえてみようかなと考えています。作品をつくるときにいつも考えていることが、社会にウケることよりも、もう少し普遍性が必要だと思っています。たとえばエベレストに登りながら環境の問題を訴えるってすごく大切なことだし、誰しもができることじゃないんですけど、社会が求めるトピックとして織り込まれるとちょっとみえ方が変わってしまうなと思います。写真は消費されてしまう部分もあると思うんですけど、人間の情緒ってそんなに根本的には大きく変わっていないんじゃないかなとも思うんです。その情緒の部分を大事にして、社会がどうこうではなく、自分が何をみてどう感じているかとか、みる人の中に隠れている潜在性が普遍的につながる部分があったら、理解が進んでいくと思います。両方必要なんですよね。
―本当に難しいですよね。

原田 環境という側面だけで海のことを考えるのは、立場や関心具合によって受け止め方も変わります。他のことでもそうですが、その人が気になるポイントをしっかり持っていれば、側面は違っていても同じぐらいの深さで話すことができると思っています。自分はひとつの作品の中で一元的なテーマに基づいて作品を提示することは、いまはまだ積極的に考えていません。これから変わるかもしれないですが、自分はそれをやらず違う視点で話しがしたいですね。

海があって、これを超えていかなきゃいけない環境

―海は大きすぎて、自分の中に輪郭を持たせることがすごく難しいなと思っています。

原田 自分とっての事柄や身体を海と重ねて考えてみるのは体感しやすいなと思います。小、中学生だと置き換えられるものをまだ持ってないから難しいですが、そういう勉強の仕方は楽しいかもしれないですね。
―小、中学校で海について知る機会があったら学んでみたかったことはありますか。
原田 僕は東京で生まれて、正直困ったことがあまりなくのびのび育ててもらって。でもなんでもできるからこそ、何もできないことがもどかしいというか、したいことがみつけられなかったり、人と比べたりということが少なからず子どもの頃はあったんです。大学の在学中に写真の仕事をはじめて、その頃に初めて八丈島に行ったので、できないことや、どうにもなんないことがあるというのは、自分を大人にしてくれることなんだと思いました。刹那的なことじゃないんですけど、どうにもなんないことがベースにあることが人間としてもすごく大事で。それぞれ自分の生まれた場所でできないこともあるし、そうやって諦められる感覚がある人の方が僕は人として強度があって好きだなと思います。島には高校までしかないので、高校より上に進学したいと思った瞬間、親と別々に生活しなくてはいけなくなります。八丈島と三宅島の間にものすごく激しい黒潮が流れているので、船を使って行くのも大変だし、飛行機も日本でもいちばん就航率が悪いくらい飛ぶのが難しい場所だそうです。本土でも上京して別々に暮らすことはあると思うんですが、陸続きで車で行ける世界感だと思うんです。島では親も子どももさびしいけど、子どもはやっぱり行きたいから意を決して島を出ていく。みんなの目の色が変わってくる瞬間があるんです。海があって、これを超えていかなきゃいけない環境というのが現実として横たわっているんですよね。そういうことを子どもの頃に体験していたら、多分自分も違う人格になっていただろうなと想像します。物理的に海があることで、その人の人生にどういう違いが生まれるのかということが、もし子どものうちにでも知れる機会があったら面白かったのかもしれないです。

―島の暮らしは独特な部分があるかもしれませんね。

原田 八丈島でお世話になった方がバイクで転んで事故に遭ってしまったんです。大きい病院がないので自衛隊のヘリコプターで本土の病院まで搬送するしかなくて。でもちょうど同じタイミングで別の人も怪我をしてしまったんです。東京だと救急車に乗ったらすぐに行けますが、ヘリが1機しかないので島では待たなきゃいけないんです。で、結局待っている間にお世話になった方は脳内出血で亡くなってしまいました。そのときの島の人たちの受け止め方が、僕が思っていた以上にドラスティックで。昔からそういう決まりになっているから、島にいる限りはしょうがないという話をされたことがありました。本当は悲しいけれど、島にいるっていうのはそういうことなのよと。そういう体験を表現するのは難しいんですけど、物事のとらえ方とか価値観そのものが少し変わった体験として印象に残っています。

―今回撮影に行こうと思っているのはその八丈島ですか?
原田 そうですね。コロナの間4年ぐらい行けていませんが、コロナまでの7年間毎年、2、3回は行っていました。久しぶりに行くのが楽しみです。

―写真、楽しみにしています。お気をつけて。

(インタビュー 2023年5月29日)

原田教正(はらだかずまさ)

東京都生まれ。武蔵野美術大学芸術文化学科/映像学科に在学中よりフリーランスとして独立。雑誌・広告・カタログなどの撮影をおこなう。写真集に『Water Memory』『An Anticipation』がある。「観測と観察」(NO.12 GALLERY、2019年)、「An Anticipation / Obscure Fruits」(BOOK AND SONS、2021年)など写真展も積極的におこなっている。好きな海の生き物は「カモメ」。