みなとラボ通信
Read the Sea vol.8, 後半
2024.01.29
写真家が「海」をテーマに撮り下ろす連載企画「See the Sea」。vol.8は原田教正が八丈島を撮影。海を渡った先にある風景とは。
自分の人生を受け入れるしかない
―今回、10年近く撮影されていた八丈島のシリーズに撮り下ろしを加えていただいたんですよね。まずは八丈島に行ったきっかけを教えてください。
原田 最初に行ったのは2013年です。厳密にはコロナがあったので一度止まっていますが6、7年は行っています。時間だけが10年経った感じです。そもそもは写真家の先輩の知人が八丈島にゆかりのある方で、その方たちが島に滞在するから来ればいいよと言ってくれて、本当にひと夏島で生活しました。あと、僕の曽祖父が野菜とかいろんなものの品種改良をする研究所をしていたんですが、暖地園芸というものの指導のために20年以上八丈島に頻繁に通っていたことがわかったんです。そういう自分に関係がある人が通っていた場所が偶然、八丈島だったというのは何かを感じますね。実際、島でいろんな人と接していく中で、指導を受けていたというおじいちゃんがいたりして。そういう奇遇なところからはじまっていきました。
―八丈島はどんなところでしたか?
原田 亜熱帯南国というようなふれ込みを八丈島の人たちはしているんですけど、溶岩がわーっと島を覆っていて、甘さのない、優しさのない感じの景色が自分はすごく好きです。東京で生まれ育っているので、海をあんなに長い時間フェリーで行くという経験もしたことがなかったですし非日常でした。元々、流刑地ということもあり、そもそも観光で栄えていた場所ではないんですよね。そういうこともあるからなのか土地特有のあきらめのような感じがあるなと思います。昔の人は2,3日とか長い時間をかけて連れてこられたわけで。そこには達観した人たちが住んでいて、ある種心を強制されていくというか、自分の人生を受け入れるしかなかったんじゃないかなと思います。達観せざるを得ないというか。八丈島の景色は、いまを生きるみたいなことを考えさせてくれる景色だなと思っています。
―罪人とか死者とか、そういう人と密接というか……。
原田 そう思いますね。流刑地なので、南から北までいろんなところの文化が混ざっていて、お墓に行くと沖縄の様子を思い起こさせるようなとこもあります。お盆にはお墓に人が押し寄せて、縁(ルビ:へり)に座ってピザを食べたりビールを飲んでいるっていうのはすごい光景です。かなり特殊ですよね。死者に対する独特な価値観は達観しているからこそあわれむ気持ちが人一倍強いのかもしれません。不満の前に達観が来るので、なんで死んじゃったのではなくて、死ぬこと自体はしょうがないけど、いなくなって寂しいみたいなところがあります。そういう感情がダイレクトなのかなと。なんで八丈島に住んでいるんですかと聞いても、代々八丈島に住んでいるから、ずっとそうだから、私もよくは知らないからそれ以上のことは言えないって。だから亡くなった家族をそうやって思い出して大事にするっていうのは特別なこととは思ってないんですよね。お盆になったら、みんなでお墓に集まってビール飲んで楽しいなぐらいの感じ。ニュートラルですよね。
―人との距離感や自然、死者というものとの距離感がすごく独特ですね。
原田 夏に高いとこから飛び込んでいる子たちをみると不思議な気持ちになるんです。島の子たちって6mくらいのところから海にどんどん飛び込むんです。一度潜ってみえなくなって、ふぁーっと上がってくる。それをずっとみていると、生きるとか死ぬとかってこういうことだなと疑似的に生死のサイクルをみているような気になるんです。それは最初に行ったときから感じています。島の子たちはそういうことに対してもドライですけど。
八丈島に通うことを介して自分の変化を感じている
―八丈島に通い続けようと思ったのはなぜですか。
原田 普段生活していると出会わないような、人が達観している感じがするんです。前回もお話ししましたが、高校を卒業するタイミングで人生を決めなきゃいけない、親離れをしなくてはいけないとか価値観が完成されているというか、大人だなと思いました。言い方を変えればそこまで多様ではないんですよね。そのほかの物事に対しても、ある程度は仕方がないこととして受け止めているところに惹かれたというか、いいなと思ったんでしょうね。当時まだ大学生で未熟だったので、自分がそういう傍観的な立ち位置から人の様相をみてくことはすごくいい機会でした。
―写真をみていると、傍観者としてこれ以上はいかないというような距離感が全体を通してあるなと感じました。
原田 それは意識していますね。どうしても島に行く=その生活をドキュメントして人にもっともっとフォーカスして撮るみたいに思われますよね。長野陽一さんとか石川直樹さんとかいろんな人が島や東南アジアのコミュニティに入って作品をつくっています。その中で自分が島に行って同じことしてもそれっぽい写真にしかならないんです。もうひとつは、社会がどんどんリベラルで開かれた世界になっていることはいいことだなと思う一方、島や地方に行くと、開かれていくことに対して追いつけない人や受け入れ方がわからなくて戸惑っている人たちをたくさんみます。その人たちにとって理不尽なことは取り除かれた方がいいけれど、なんでもかんでも開かれて多様になっていること自体が本当にいいことなのかは地域性にもよるし、一概にはいえないと僕自身は思っています。
―八丈島でもそう感じますか?
原田 八丈島は良くも悪くも観光客も移住者も多くない。その中で東京から飛行機で45分という近さもあり、ほどよいアップデートをされながらも変わらずにいるんです。変わる気がないという感じですかね。「私たちは私たちで仕方がないところに生きているので、できないこともあります」「受け入れられなかったり、わからないこともあります」という感じが、口に出して言われるわけではないんですが、みんなの背中をみていて感じることがあります。その距離感が人間らしいというか、息苦しさがなくていいなと思います。あきらめをともなう場所だけど、結構肯定感があるというか。自分たちがみてきた生活環境や島独特の価値観に対して保守的でもなく、絶対それを守らなきゃいけないってことも感じないんです。変えなきゃいけないこともないよねみたいな。自分は距離を置くことで変化をみられる立場にいたいなと思っているので、ドキュメント的に中に入っていくとフラットにみれない部分が出てくるので引いてみるようにしているんですけど、上がることも下がることもない。あんまり変わっていないです。島の子たちの遊び方をみていても、やっぱり変わらないんだなと。海に飛び込んでいる写真も、10年前のものといまのものと若干服は違いますが、顔つきややっていることは変わってないんです。自分が一番変わったのかもしれないです。行く度に僕の受け止め方が変わっている感じがします。
―そういう島の様子や立ち振る舞いみたいなものを受け入れていく感じでしょうか。
原田 というより、ドキュメント的に撮っていたら島の人一人ひとりに対してもっと強く思い入れを持ちはじめて、八丈島っていうのはこういう島であるととらえていくと思うんです。でも距離を置いて、かつ1年に一度か二度しか行かないので、正直どんな島だったか半分忘れている自分もいるんですよ。ただ撮っていくと、ここは何回も来ていて、あのときはこんな風に思って撮ったなとか、こう感じたなというのは覚えています。それで今回はそういう気持ちにはならなかったなとか、逆にいつになってもここのこういう側面に関しては一貫して変わらないなとか。そうやって八丈島に通うことを介して自分の変化を感じているんだと思います。
―移動することも大きい要因なのかもしれませんね。
原田 フェリーで海を12時間とか乗っている間で考えることがその都度すごく変わっていってる気がします。飛行機でぴゅーっと行くのと、海を本当に渡っていくのとでは全然違います。昔は何度か飛行機で行っていましたが、どこか物足りないなと思って。フェリーから海をみていると、生まれてから死ぬまでの抜粋版みたいだなと思うんです。やっぱり僕は海って怖いものだなと思っているので、こんなにきれいでも入りたいとは思いません。海と人って対等じゃないんだなと。陽が暮れて明けてというサイクルをみていると、自分が主役なんじゃなくて、その一連の時間の出来事の中に自分がポツンと置いていかれているように感じます。外洋に出て、まっすぐひたすら進んで360度、海しかなくて島もみえないとき、閉所恐怖症のような恐怖感を感じることがあるんです。すごく開かれているのに逃れられないというか、移動に時間かけることで得られる体験です。あとは、夏休みの時期にフェリーに乗ると、一緒に上京して別々のところに住んでいる大学生が再会していい感じになっているのをかわいいなと横目でみたり。移動の時間が本当にいろんなものもたらしてくれるし、その中で人は変化していくものなんだと思います。海を渡ることはやっぱり情緒がありますね。
―それはやはり長い期間をかけて行っているからこそみえる変化ですね。
原田 僕も変わるし、向こうも変わるんですけど、やっぱり写真は自分が一番変わる媒体です。被写体を撮って表現すること自体が本質的には借り物競争的な部分があると思うのですが、突き詰めていけば、被写体が自分に対して本音でいるかどうかは本当のところではわからないし、写真は疑えば疑うほど疑心暗鬼になっていくものだと思うんです。だからある程度距離を持つことで、変わっている対象が自分なのか相手なのかを図りやすくしているのだと思います。中に入っていくと、変化の全体像を感じづらくなるというか、客観性みたいなものがとらえづらくなる感じがします。海という距離や時間をかけて移動することがいい組み合わせなのかもしれないですね。
普遍的で断片的な風景の集積
―そうやって毎回行って、自分が変わっていっているという中でも、原田さんの写真の距離感は一貫していると感じるのですが、そこに変化はうまれないのでしょうか。
原田 いや、うまれるんですけど距離を縮める行為って一過性のことなのかなと思っていて。たとえば八丈島に住んで、八丈島の人になるぐらいのことするんだったら、距離を縮めて中に入っていくことの意味はあると思うんです。でも僕は年に1回ぐらいのペースで行くので、距離を取ってそういうかたちの作品として出した方がいいなと思っています。島というテーマならもっと近いもんだろとか、断片的だとかストーリー性がわからないと言われたこともあります。それに対して、ストーリー性を期待してみていますよね。島の写真=ストーリー性と思ってみていること自体、ナンセンスなんじゃないですかと反論したことがあります。写真がもつ記録媒体という考え方もあるので、距離を一定にして記録しないと何を記録しているのかわからなくなります。それは自分の作品全体に対して一貫したスタンスです。ただ、心の中にはもう少し入っていきたいなとか、全然違う距離感でやりたいなという思いも湧いてきています。今回も一部にはそういうことを含んだ写真があるんですけど、全体の中で少しみえるぐらいでいいかなと思っています。いま寄りたいのにそれを自制してまでやり続けることはナンセンスだなと思う一方、安直に近づいていくのもナンセンスだなと思います。作品は全部をみせるわけではなく、膨大な中から抜粋をしてみせるので、それ自体がほんとじゃないと思うんです。目的というか、こうみせたいというために設計をして選んでいるので、今回は作品としてのみせ方の構造の方を優先しました。
―10年八丈島を撮ってきて、海とか島とかについてもっと調べたいとか撮っていきたいことはありますか?
原田 前回もお話しした情緒や普遍性をもたせて、海をどうやって表現できるのかなというのはテーマとして考えているところですね。海を探して作品をつくるというより、そういうことをみせられる場所に自分がどう出合えるかだと思っています。そういう意味で、八丈島のシリーズは達観とかそういう人の感情の部分を普遍的なものとしてみてもらえるかなと思います。ストーリー立てられたものではなく、断片的な集積を八丈島の風景を介してみてもらえたらいいですね。
(インタビュー 2023年8月28日)
原田教正(はらだかずまさ)
東京都生まれ。武蔵野美術大学芸術文化学科/映像学科に在学中よりフリーランスとして独立。雑誌・広告・カタログなどの撮影をおこなう。写真集に『Water Memory』『An Anticipation』がある。「観測と観察」(NO.12 GALLERY、2019年)、「An Anticipation / Obscure Fruits」(BOOK AND SONS、2021年)など写真展も積極的におこなっている。好きな海の生き物は「カモメ」。