みなとラボ通信
Read the Sea vol.10, 前半
2024.03.18
写真家が「海」をテーマに撮り下ろす連載企画「See the Sea」。Vol.10は野村佐紀子が日常の延長で海を撮る。
海と向かい合ったことがないんです、共にだから。
―「See the Sea」は、いろんな海を知ってもらうために、写真家の目を借りたいと思いはじめました。写真家は、こういう海もああいう海もあるよと自分では描けない色々な海の世界を見せてくれると思っています。野村佐紀子さんはご出身が山口県下関ですが、海はお近くでしたか?
野村 海は家から水着で出かけられるくらいすぐの距離でした。海はベースというか、生活の途中にあるものですね。うちの家と海の間にバイパスができていくのをずっと撮っていました。だから大人になってバイパスができ、急に海が遠くなってしまった気がします。
―野村さんご自身は海とどう関わっていると思いますか?
野村 海を撮るというより暮らしているから、わざわざ撮るのは違うと感じます。海と向かい合ったことがないんです、共にだから。全部の思い出に海が関わっています。
―それは野村さんの普段の写真にも影響があるのでしょうか。
野村 下関の私の家はずっと西日があたる場所にあるんです。それは毎日海に向かって帰ることでもあって。それが多分海と共にいろんなことのベースになっていると思います。だから逆光気味の写真を撮るのも、私にはずっとそういう風に見えているのかもしれないですね。夕暮れどきの家に帰るような気分とか、海に夕日が沈むあの逆光で何も見えなくなって、暗くなっていくことが全部の写真に染み付いていると思います。で、夜の海はこわいこわい闇の世界に入るみたいな感じなんです。そのこわいという体感はずっと持っていますね。キラキラしている海より、夕方から闇に入るタイミングが一番記憶に濃いかもしれません。
海をどっちからいくか、誰から見た海にするのか
―2022年に野村さんの地元、山口県下関の美術館で「海」という展示がありましたよね。
野村 美術館側からの打診じゃないと、ストレートに「海」とはつけなかったと思います。下関で新しく撮ってほしいという話があり、下関でやるからにはまずご先祖さまに挨拶をしようと友だち10人ぐらいに手伝ってもらい、下関のご先祖さまをほとんど全部回りました。お花を撮ったんですが、白いパネルを背景にして3,000カット。だけど、展示では1枚しか使わなかったのかな。
―そうなんですね。
野村 3,000枚撮ったということは、一壁全部それにしたいと思っていたわけです。元々そのお花をベースに、ヌードとどう広げていくかと思いながらつくっていたので。だけどキュレーターがそういうので、今までの海の写真を見返して、海をどう関わらせていくかという話し合いをそこからやっていきました。
―展示に際し、海のことを考えすぎたとおっしゃっていましたが。
野村 私にはそういうことは意味がないのに、みんなで話していると意味をつけていきたがるんです。たとえば、海を英訳するのも大変でした。結局Blue Waterにしたんですけど、そういうようなことです。海をどっちからいくか、誰から見た海にするのかみたいなことは随分話し合ったかもしれないです。写真もそうですが、たかが海なんです。でもやっぱり海なんですけど。その距離感が難しかったです。 海万歳となるのは私のやることではないと思っていましたね。
―写真に意味づけをしていくようなことを避けているというか。
野村 元々写真自体にメッセージやテーマで何かを伝えようとすることに興味がありません。メッセージを伝えていきたかったら政治家になった方がいいですよね。今は全体的に何かを伝えようとする流れかもしれないですが、そこにはいつも違和感を持っています。私はそれをそのまま撮っているだけだから、それに違うメッセージをのせて発信するということが得意ではありません。美味しそうでしょとならない方が良くて。美味しいですっていうだけのことなんです。今まではただ撮っているだけで良かったのですが、今普通にそれをやっていたらそうは受け取ってもらえない。ちょっと戦わなければならないんです。「そういうことじゃない」って言わないとそのまま出せないこともあって、随分葛藤しました。私はそれとは全然違うところにいるので。「海ということ」、「メッセージがない海」って、なかなか会話では成立しなくて、「海の町で暮らした」くらいの共通の意識を持つようにしました。海を写したのも私は海の町で育ったからで、海のことを何か伝えようとしているわけじゃないということを共通認識としていきました。
自分にとって普通だと思っているようなことがなかなか伝えにくい
―そうやって野村さんが選んだ写真をもとに、キュレーターや学芸員とさらに考えていった感じでしたか。
野村 地元で私が海のことをやるというとき、キュレーターが入ってくれたことは、すごく良かったです。「佐紀子さんの海はこういう感じで、こういう意味があって、これがいいんですよ」とは絶対言わないんです。「佐紀子さんは海を撮っていていいんですよ」と。それを外の人が言ってくれることはとても重要でした。
―自分の写真がどう見られるかは、相手に委ねている、と。
野村 もちろん、もちろん。渡したらもう向こうのものっていうのは当たり前の話です。それはかっこいいとか、そこにも意志があるというわけではなくて。自分にとって普通だと思っているようなことがなかなか伝えにくい、とずっと思っているかもしれません。嫌なものは目をつぶるし、見たいもの見るということが写真を撮るすべてのベースです。正確に伝えるとかはあんまり関係ないです。
―撮っているときは、そのあとのことまで考えていますか。
野村 撮っているときは考えていないです。それはテーマを撮っている写真家じゃないから。ずーっと写真を撮っていて何かのタイミングで展示をやるとなったとき、さてどうしますと切り替えています。
―今回、「海」という大きなテーマを渡させてもらいます。それこそ海が写っているかは問わないです。
野村 難しいところですね。これを海といっちゃっていいですよってことですよね。
―そうですね。野村さんが、それを海というのであれば。
野村 海が写っていた方がいいですよね。夜の海はあんまり発表したことがないから、夜の海に行ってみようかなと思います。
―野村さんがこのシリーズの一旦の最後なんです。
野村 えー。最後だったら答え違ったのに(笑)。
―えっ!(笑)。野村さん自身に海が溶け込んでいるんだなと思えたので、野村さんが最後でよかったと思っています。写真、楽しみにしています。
(インタビュー 2023年10月24日)
野村佐紀子(のむらさきこ)
山口県下関市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。1991年より荒木経惟に師事。1993年より国内外で写真展を多数開催。主な写真展に「GO WEST」(碧南市藤井達吉現代美術館、2019年)、「ノクターン」(東根市公益文化施設 まなびあテラス 市民ギャラリー・特別展示室、2021年)、「海」(下関市美術館、2022年)などがある。『裸ノ時間』(平凡社)、『夜間飛行』(リトルモア)、『黒闇』(Akio Nagasawa Publishing)、『TAMANO』(Libro Arte)、『雁』(BCC)、『Ango/Sakiko』(bookshop M)、『愛について』(ASAMI OKADA PUBLISHING)、『春の運命』(Akio Nagasawa Publishing)など写真集も多数刊行。好きな海の生き物は「くらげ」。 https://sakikonomura.com/