みなとラボ通信
Read the Sea vol.19
2023.07.07
『ダンピアのおいしい冒険』 トマトスープ(イースト・プレス)
好奇心は強い。大海原をいく海賊船の周りを、怖ろしい人食いざめが周遊している。難破船を襲ってから人の味を覚えてしまったのだ。では、その人食いざめは一体どんな味がするのだろう。そう思った瞬間、恐怖の対象は未知の食材になる。
17世紀末、海賊船に乗り込み、未だ謎が多い海域だった南海(太平洋)を目指すダンピアの冒険を描く。実在の海賊にして博物学者、ウィリアム・ダンピアの手記『最新世界周航記』が原作。
航海の中、また上陸した島々で出会う、人食いざめやウミガメ、トドにイグアナ等々。ダンピアはそれらを捕まえ、調理し、食べる。
「食べることは重要な自選観察です ただ怯えるよりも味とか栄養とか害はないかとか…よく観察すれば明日はきっと怯えない 知るってことは生きる力だから」*
貧しさから学問の道を諦め、船乗りになったダンピアは、航海の模様や各地の自然や生物、文化、風俗を観察し書き留めていく。大海原をいく冒険は、無限の発見をもたらす学校になる。
*引用部 P.22
『タイタニックを引き揚げろ』上下巻 著:クライブ・カッスラー 訳:中山義之(扶桑社)
最近の大人はアドベンチャー小説など、あまり読まないかもしれない。本書は何の臆面もない海洋アドベンチャー小説だ。そして、ひたすらに面白い。
冷戦下の80年代。アメリカ政府は秘密裏に、1912年に氷山と衝突し、北大西洋の4000メートルの海底に沈んだタイタニック号の引き揚げを画策する。実は、タイタニック号の積み荷には、アメリカの防衛システムの完成に不可欠な、希少鉱石ビザ二ウムが積み込まれていたのだ。しかし、ソ連領の北極圏にある小島でしか採掘できないはずのビザ二ウムが、一体なぜタイタニック号に積み込まれていたのか。調査の末に浮かび上がるのは20世紀初頭の、謎に包まれたコロラド州の鉱山師たちの存在…。
タイタニック号を巡る、虚実が入り混じった歴史ミステリー。そしてソ連諜報員の妨害工作、また海上に巨大ハリケーンが接近する中で決行される、NUMA(国立海中海洋機関)による46000tの巨船の引き揚げ作戦。
これぞ娯楽作品という感じに嬉しくなる。
『あの夏の修辞法』 著:ハ・ソンナン 訳:牧瀬暁子(クオン)
ある年の夏、祖母の葬儀のために「わたし」と家族は、父の故郷である離島を訪れる。
まだ小さい「わたし」にとって、まっさきに思い浮かぶ祖母の印象は、地中に埋めた巨大な甕に2枚の板を渡しただけの、田舎の便所で偶然見てしまった「黒くてだらんと伸びた、まばらな毛がいくらも残っていない、祖母の「あそこ」」というのが強烈だ。その「あそこ」から父が産まれた。
「あそこ」は海のイメージと重なる。生命が生まれる場所。美しいだけでない。埠頭は「灰貝のヌタ」の腐ったような臭いがする。浜辺では、日焼けした島の子どもたちが、波打ち際で飛び跳ねている。その翌日、一人の女の子が海でおぼれ、あやうく命を落としかける。
出棺を待つ祖母の遺体の前に供えられた食物は、暑さで傷み出す。親戚たちが、葬儀の仕来りで喧々諤々の話し合いをしている一方、避暑客の若者たちは夜の浜辺で流行歌を歌い、恋人たちは愛の言葉を交わす。生と死の狭間の、濃密な臭いと空気に満ちた漁村の情景。
70年代初頭の韓国が舞台の短篇小説だが、不思議な懐かしさを覚える。
『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の話』 内田洋子(文藝春秋)
詩人の管啓次郎は本を読むことを「シャツを脱ぎ捨てて海に飛びこむのとおなじ冒険」だと言った。本を読む冒険もあれば、また、その本を届ける冒険もある。
イタリア、トスカーナ地方の山奥にある村の話だ。険しい山の斜面に広がるモンテレッジォは耕作地が少なく、村人たちは村を出て各地を渡り歩く行商を生業にしていた。彼らが売ったのは本だ。
本の包みを抱えて、村人たちは旅に出る。高価で難解で専門書を扱う書店は、民衆にはまだ敷居の高い存在だった19世紀。彼らは行く先々で露店を広げ恋愛や冒険など、人々が求める身近な内容の本を届けた。多くのイタリア人が移民として南米を目指す時代が来ると、本の行商人たちも帆船に乗り込み、海を渡った。故国の言葉と、文化を携えて。
本書は小さな村に秘められた歴史と、名もなき、しかし勇気ある人々の記憶を、村の古老が語る話や膨大な文献資料からじっくりと紐解いていく。それもまた、大海へ飛びこむような冒険の記録だ。
和歌山にある新刊書、古書、絵本、雑誌からリトルプレスやZINE、雑貨なども扱う「本屋プラグ」。ふらっと立ち寄り、おもしろい本に出合える「まちの本屋」。本に関する話題を話すPodcast「本屋プラグラジオ」を配信。そのほかにも、三人の本屋が、本のはなしをする「SANBON RADIO」をYouTubeで公開中。