みなとラボ通信

Read the Sea vol.26

twililight/熊谷充紘

2023.08.25

さまざまな選書者が「海」をテーマに選書をする連載企画「Read the Sea」。vol.26は東京都三軒茶屋にある本屋「twililight」の熊谷充紘さん。

子どもに読んでもらいたい「海」に関する本(高校生)

『水平線』滝口悠生(新潮社)

「あの人と私は、海の彼方でつながってルルル」

太平洋戦争末期に激戦地となった硫黄島をめぐる物語です。島民の子孫にあたる兄妹を軸に、現代を生きる2人と、島で命を奪われた者や本土に疎開した者たちとの声が時空を超えて響き合います。1982年生まれの滝口悠生さん自身、母方の祖父母が硫黄島出身とのこと。家族の中に戦時を経験した人たちがギリギリいる世代です。いまの高校生にとって、太平洋戦争はさらに遠い出来事かもしれません。白黒写真の中の出来事のような。でも当時の記録方法が白黒だっただけで、実際はいまここにいる世界と同じようなカラーの空間がそこにはあった。

硫黄島=激戦地というイメージがありますが、この小説を読むと、当時は製糖業で賑わい、漁業にも農作にも恵まれた土地で、いまと変わらないような、一人ひとりの生活があったとわかります。それが、本土防衛のために送り込まれた日本軍に全島疎開を強いられ、そのうち16歳以上60歳未満の男性は現地徴用され、「玉砕の島」で命を落とすことになった。その人たちの気持ちも伝わってきます。

500ページを超える小説ですが、その長さがあるから、1940年代の硫黄島を生きる人たちと、2020年を生きる現代の人たちの人生が要約されることなく伝わってきます。自分の人生が簡単に短くまとめられてしまったらどんな気持ちになるでしょうか。滝口さんは一人ひとりの人生を取りこぼさないように耳をすませます。そこには時代を超えた共通点がある。だから、1940年代と2020年が繋がる。その可能性の象徴として、海が広がっています。

大人に読んでもらいたい「海」に関する本

『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』小津夜景(素粒社)

たこぶねとは、地中海の宮殿のような貝殻を住まいにしているタコ。実際にはその貝殻は子どものための揺り籠で、卵が孵って、子どもたちが泳ぎ去ったら、母のたこぶねは貝を捨てて新しい生活を始めます。人生の後半をたこぶねのようにさらなる未知の世界へ泳ぎ出したいという願い。しかし人生経験を積んだ人間にはこの願いを叶えることは少し難しいと知ってしまっている。

人に手なずけることができない海を眺めていると、永遠と有限が寄せては返します。自分という存在は有限で、世界はこのあとも続いていく。残りの人生、どのように生きていこうか。そんなときに支えになるような漢詩を、フランス・ニース在住の俳人・小津夜景さんが自身の暮らしと共に紹介してくれるのが本書です。すぎゆく時間について、老いについて、人間がどこから来てどこへ去ってゆくのかについて。思いをめぐらす小津さんの頭をよぎる漢詩に、肩をポンポンとたたかれ、「うんうん、わかるよ」と囁かれるような感覚。孤独を知る大人にとって、詩は、時代や場所を超えて、短くて、切実で、寄り添ってくれる友なのです。

自分にとっての「海」に関するお気に入りの1冊

『太陽諸島』多和田葉子(講談社)

40年以上ドイツに住み、日本語とドイツ語で創作を続ける多和田葉子さん。『太陽諸島』は失われた母語を求め、国籍や人種、性別の異なる6人の若者たちが共にヨーロッパを旅する長編3部作の完結編です。舞台となるのはバルト海の船旅。バルト海は、ヨーロッパ大陸とスカンディナビア半島に囲まれた海で、沿岸の国々は、侵略や冷戦の名残を留めます。ある登場人物は「たとえ国がなくなっても町はなくならない」と話し、6人は、自分の属性とは?言語とは?国家とは?と語らいます。足の下が地面ではなく、計り知れない海が広がる船の甲板や食堂は、あらゆる境界について語り合うのにうってつけの舞台です。

作中で主人公のHirukoが「今は海の上にいるから、国境がない。海の旅を続ければ、国境は一つもない」と言うように、海から地球を眺めると脳の水平線が書き換えられます。読後、あなたの水平線に、日本列島や地球は、どのように浮かぶでしょうか。

海は出てこないが「海」を感じられる1冊

『百年と一日』柴崎友香(筑摩書房)

不思議な魅力に満ちた33編の物語。各短編には長い題名がついていて、たとえば「二階の窓から土手が眺められた川は台風の影響で増水して決壊しそうになったが、その家ができたころにはあたりには田畑しかなく、もっと昔には人間も来なかった」。まるで土地そのものの記憶が語られているようで、海と対峙したときに実感するような人間の小ささや有限性を感じます。

そして大きなテーマとなっているのが、戦争です。この百年ということを考えたら、どの場所も戦争に関わってくるということ。滝口悠生さんの『水平線』とも繋がりますが、直接戦時を経験していなくても、お母さん、おばあちゃん、ひいおばあちゃんと遡っていけば、絶対にどこかで関係しているし、いまも世界では戦争が起きている。その中の誰かにあり得たこととして書かれた話は、わたしの話である可能性もあった。これからもある。

海は出てこないという条件でしたが、33編中、少なくとも3編には登場します。でもそれ以上に、全体が凪のように、静かに淡々と、起きたことが描かれていく。戦争も、引越しも、大根の物語も、等しく同じ熱量で。寄せては返す波が永遠の繰り返しのようでいて、一瞬たりとも同じではないように、百年は一日のように過ぎ去ることもあるし、一日に百年分の物語が詰まっていることもあり、あの人はわたしであったし、わたしはあの人でもあった。

この活動は日本財団の助成により実施しています。

選書・文:
「twililight」熊谷充紘

三軒茶屋にある本屋&ギャラリー&カフェ。屋上もあります。出版社としても、安達茉莉子『世界に放りこまれた』、レアード・ハント/柴田元幸訳『インディアナ、インディアナ』、畑野智美『トワイライライト』などを刊行。書評家・倉本さおりをホストに迎えたトークシリーズ『読むこと、書くこと』などイベントも開催。

住所:
東京都世田谷区太子堂4-28-10(鈴木ビル3F)
営業時間:
12:00-21:00
定休日:
火曜、第1&第3水曜日
https://twililight.com