みなとラボ通信

Read the Sea vol.6, 前半

2023.09.25

写真家が「海」をテーマに撮り下ろす連載企画「See the Sea」。vol.6は清水裕貴が千葉の海を撮影。生活のそばにある海は人とどう関わりあっているのか。

海が生活のきわきわのところで人間と関わる関係

―「See the Sea」は、「海」をテーマに写真家に作品を撮っていただく企画です。清水さんは写真家であり、小説家でもあります。これまでの作品で「水」を題材にされているものが多いように感じます。なにか水や海とも関わりがあったりするのかなと思い、お声がけさせていただきました。こちらからは、大きく「海」というテーマをお渡しさせていただきます。まずは撮影前にお話を聞かせてもらえたらと思います。ご出身が千葉県の船橋ということですが、海は近くにありましたか?

清 最初は船橋の団地に住んでいて、小学生以降はもう少し内陸の鎌ヶ谷というところにいました。東京湾が割と近く、千葉県だと九十九浜や幕張の海浜公園にしょっちゅう友達と行きました。船橋漁港ではそんなに遊ばなかったですが、海はちょっと思い立ったらすぐ出かけるところという感じです。いまは船橋漁港の近くのマンションに住んでいて、漁港まで歩いて10分ぐらいです。ららぽーとやIKEAがある商業施設のそばの港で、数十メートルぐらいの結構長い水門の上をよく歩いています。商業施設に行くときのショートカットになるので、みんなそこを歩いています。それくらい身近な存在ですね。

―水門があるんですね。

清 日によって違いますが臨機応変に門が閉じたり開いたりしています。水門を管理する大きな施設が漁港の横に立っていて、ちょっと廃虚っぽいんです。一般人は入れないんですが、洗濯物が干してあったり、泊まり込みの人がいるみたいで。でもその人たちの姿はみたことがなく……。謎めいているんですけど、割と好きなんですよね。まぁ港といっても主にららぽーとやIKEA、タワーマンションがあるところですね。

―はい、そのイメージが強かったです。漁港があるとはじめて知りました。

清 一応、漁港ということで貝を取る網などは置いてあるんですけど、独特ですよね。海といっても外洋のようなダイナミックな海というより、私の興味は常に人と水の境界線にあります。水辺の人々と水の付き合い方みたいなことですね。

―人と水の境界線ですか。

清 船橋は海抜が低いので、昔は海老川がよく氾濫して水浸しになっていたらしいです。いまは水門もできたし、地下に水を溜めておく施設もあるので氾濫はないですが、子どもの頃は確かに水浸しになっていた記憶があります。海が生活のきわきわのところで、近づいては離れていくという人間と関わる関係に興味があります。埋め立て地ということもあり、不安定な足元を感じながら生活しているので、海の中の魚がどうのこうのというより、自分の足元を行ったり来たりしている水という感じです。私が海に入らないからというのもありますが、海だけだと自分にとって遠すぎてとっかかりがなさすぎるのかもしれません。どこか得体が知れない、こわいなという距離感の方が私にとってはスリリングです。小説とか架空のアニメーションだったら海そのものを描けるのかもしれませんが、写真だと自分がどこに立っているのかが前提になります。そうすると、私はやっぱり陸地にしか立てないので、海とか波、塩から身を守ろうとしている人々の目線から撮るのが自然になりますね。

夜の海はちょっと不思議で楽しい白昼夢のような場所

―清水さんの作品は、海単体ではなく人や人の営みがみえるようなものが撮られているなぁという印象がありました。先ほどの水と人との関わりや人が介在する水辺への興味のお話に納得しました。
清 写真を撮りはじめた頃、一番好きだったのが幕張や稲毛の埋め立て地でした。人工物のバランスがいいというか、キラキラしていたはずが大人になった頃にはそのキラキラが経年劣化しているんです。海風が常に吹いているので、アスファルトの道の横にも容赦なく砂がザンっと溜まっていきます。単なるきれいな都市ではなくて、砂や風に干渉を受けている様子にグッときたんでしょうね。陸地でしか生きていないけど、人の気配しかしない風景はどこか居心地が悪く、都会や人が集まるところを撮る気にはなれません。人と人じゃないところの間ぐらいが安らぐんです。幕張のようなちょっと砂が入ってきて、人の気配がいるんだかいないんだかというところが自分には馴染みます。

んー。ロマン?懐かしさ?なんでしょうね……。あれだ!白昼夢みたいなところなんですよ。幕張も稲毛も船橋も海浜公園も人で溢れかえることがないんです。平日の夕方から夜にかけて行くと波の音がザブンってするけど誰も歩いていない。夢をみて迷い込んでしまったような雰囲気に惹かれていたんだと思います。幽霊っぽいものが昔から好きで、そういう気配を求めて歩いているのかもしれません。何かがいるような気がする、私が会いたかった何かがって。だから、ときめき?みたいな感覚がありますね。

―船橋や幕張、稲毛などそれぞれに思い出がありそうですが、海の思い出と言われたら何が浮かんできますか?

清 いま話した幕張あたりの白昼夢のように、昼より夜の海の方を圧倒的にみています。自分の中で一番印象深く作品にもしているのが稲毛の海浜公園です。はじめて夜の海に行ったのがそこでした。高校生のとき、友達と真っ暗な公園のお花畑を歩いていたらレストランが煌々と光っていました。入ったらお客さんは誰もいない。でも普通に営業をしていて、つくりたてのちょっと洋風のビュッフェがきれいに宴会のテーブルに並んでいました。それをおいしいねと言って食べたのですが、私たちしかいない。これは現実なのか、と(笑)。夜の海はちょっと不思議で楽しいという印象を持ちました。

―不気味とかこわいとかではなく、不思議で楽しいという印象なんですね。

清 最初はこわいんですけど、ちょっと不気味なのが楽しいというか。海辺のカフェとかレストランのあんまり流行ってないところに行くのが好きですね。なんでやってるんだろうという謎のところ。一応リゾート的な存在だから、誰かが楽しい時間に訪れた気配はあるんですけど、大体のところはもう賑わいが去ったあとの雰囲気をしているんです。ちょっと風化した思い出というか、劣化した人の気配。やっぱりそういうのが好きなんでしょうね。人間の生活に興味があるから、それをより感じやすいのが海かなと思います。

―さらにお店や人工物を介することで、そういう雰囲気をより感じられるのでしょうか。

清 海だけだと勢いがすごすぎて人間のちっぽけな思い出なんて、すぐ流され消えてしまうと思うんです。でもガラスで隔てられた空間だと、そこにまだ人間の過去の気配が残りやすいのかなと。

―そういう海と人との関わりについて、どう思われますか?

清 人って、海好きですよね。私も好きなんですけど、普通にすごく危ないじゃないですか。でもみんな海に行きたい、海を目指してしまう。人が海をみたいと思うときの海って、生活の延長にある海とは違う「郷愁」に惹かれていると思うんです。私の好きな海辺の喫茶店とかにはそういう誰しもが海に対して持っている郷愁みたいなものがある気がします。

水に惹かれるのは海につながっているから

―普段から海は意識されていますか?
清 船橋に住んでいるとずっと海の気配を感じます。海がみえるマンションではないんですけど、すごく潮の香りがするんです。親は「そんな匂いしないよ」と言うんですけど。いま住んでいるマンションは叔父が長年住んでいた部屋で、叔父が亡くなったあと私が片付けとリフォームをして住んでいるんです。この部屋を掃除しているとき、タバコとか生活臭とか色々あるけど独特の違う匂いがするなと思い、ふと気づいたのが潮の匂いでした。掃除機のゴミをバサッと開けたらその潮の匂いがぶわっとして。磯臭いというか、微生物なんでしょうけどちょっと生臭い、でも単なる生臭さじゃない匂い。それが部屋に何十年と染み付いていたんだろうなと思います。

―匂いって、そこに住んでいる人ならではの感覚ですよね。

清 仕事から帰ってきて駅に着いた瞬間から潮の匂いがして、マンションに近づくと霧がぼやっと出てきて、霧に包まれているみたいなこともよくありますね。山間部の朝方に出る霧とは違い、やっぱり潮の匂いがすっごく濃厚に漂うんです。あと雷も多いです。頭上に巨大な積乱雲ができて、その上で雷がピカピカ鳴っているのを夏によくみます。ビルだらけのところにいるより、空や海の色の変化を大きく感じられるのかもしれないです。水門の上を通るときはそういう景色をいつもみています。

―作品をつくるときのきっかけもそういうところからだったりしますか?

清 それはよくあります。特に小説を書くときは、そのときの海の状況やみえたものから着想することが多いですね。写真作品も毎日、毎週のように、同じ海に行っても出合うものが違います。私は作家になってから海のことを色々と調べて知識をつけましたが、最初は別になんの知識もなくて。でも私の場合、歩いた瞬間に物語の種みたいなものが自然と湧き上がってきたという感じです。

―山の方に行ったりはしないんですか?

清 水辺の写真を撮っているときに山にも結構登ったんですが、山の中の川、湖、滝壺とか水につながるところばかり辿ってしまって。木とか岩を撮ることは全然なかったんです。結局、水に惹かれるのは海につながっているからなのか……。よくわからないんですけど水に取り憑かれているのかもしれません。

―そういう意味でも今回お渡しした「海」というテーマはどうですか?

清 いまお話ししていたら、やっぱり私は自分の馴染みのある海辺の亡霊がいたようなところを撮っていけば良さそうだなと思いました。
―海辺の亡霊、どんな写真がみれるのか楽しみにしています!今日はありがとうございました。

清水裕貴(しみずゆき)

千葉県船橋市生まれ。2007年、武蔵野美術大学映像学科卒業。2011年に第5回写真「1_WALL」グランプリを受賞。2016年に三木淳賞受賞。小説家として2018年、新潮社R18文学賞大賞を受賞。土地の歴史や伝承のリサーチをベースにし、写真と言葉を組み合わせた表現で作品を制作。精力的に作品を発表し、展示も行なっている。近年では、「百年硝子の海」(千葉市民ギャラリーいなげ、2021年)「微睡み硝子」(PGI、2022年)などがある。近著に「花盛りの椅子」(集英社)、「海は地下室に眠る」(KADOKAWA)がある。好きな海の生き物は「ペンギン」。