レポート

気仙沼

未来で海と生きる方法を「話し合う」とは?:「第11回海洋教育こどもサミットin気仙沼」報告【後編】

2023.03.14

学校イベント海洋教育

2022年11月25日(金)にオンラインで開催された、「第11回海洋教育こどもサミットin気仙沼」(以下、こどもサミット)。その本番で、誰よりも聞く側に回り、こども同士が語り合う場をつくったのはファシリテーターを務めた気仙沼高校の生徒たちでした。

こどもサミットを終えて2ヶ月後。もう一度集まった高校生たちに、こどもサミットでの経験を振り返ってもらいました。すると、未来で海と生きるために、今をどう共に生き、どう語り合うかへのヒントが浮かび上がりました。

こどもサミットの様子はこちら

海への思いを「まとめる」

オンラインで複数の小中学校が集まる議論の場。意見が出なかったら、時間がうまく使えなかったら・・・色々なことが考えらました。そんな中、高校生たちがひときわ悩んだのは、ファシリテーターとして「意見をまとめる」とはなんだろう、ということでした。こどもたちが自分自身で考える「未来で海に生きるために必要なこと」に、彼らはどう向き合ったのでしょうか。

「私は、意見をまとめるときに多数決にしました。ただ本番で画面をぱっと見ると、学校毎に人数が違うことに気づいたんです。迷って思わず一度引っ込めたけど、進めるとやはり一つにまとまらず、最終的に「多数決で」とアナウンスしました。どうすればよかったのかは、未だにわからないです。」(Aさん)

「私はもともと一つにまとめるのは無理だろうと思っていました。だから本番では、話し合いで出てきた全ての意見をメモして進めました。同じ「まとめる」でも、内容面で一つにまとめるのではなく、一枚の紙にまとめる(整理する)という形ですね。共通点に線を引っ張って「こうだよね」とか、課題だったら「こういう問題から何が言える?」と聞いたり、小中学生とコミュニケーションを取るツールにしていきました。」(Bさん)

「私のいたグループでは、小学生も中学生も、みんなで話し合いながら一つの結果として作っていったという感覚です。たとえば、表現は異なっていても似通ったものを多数の人からの意見としてまとめたり、珍しいものを少数の意見として確認しておいたり。とても難しかった気がします。ちなみに多かったことは「ゴミを拾う」に関することでした。」(Cさん)

こどもサミットの話し合いでテーマとなったのは、一つの合意へと落ち着くものではありません。でも、参加した一人一人が全体像を把握するために、また、別のグループへ共有するために、なんらかのかたちで「意見をまとめる」ことが求められました。高校生たちのファシリテーションの悩みは、こどもたちが抱く多種多様な海への思いをまとめたり代表したりすることは可能なのか、またその必要性や正当性はどこにあるのか、という教育の深い問いにつながっているように思われます。

どんな「対話」の、どんな「場」が必要なんだろう?

ファシリテーションをするなかで、高校生たちはそれぞれ悩み、驚き、そして何かに気づいていました。話し合いのなかでこそ、話し合いのあるべき姿が掴めたという人や、話し合うことの意味が見えたという人も。

「私が気づいたのは、専門用語をあまり使わないで説明したりまとめたりすることが大事、ということ。本番中に感じました。特に小学生がいたからですね。せっかく誰かが研究して発表したことも、内容を理解できないと楽しくないだろうと思ったんです。年が低い人に合わせて、参加する全員が楽しめるように、言葉を柔らかく簡単にしました。」(Dさん)

「私はこどもサミットって何だろうと考えました。この振り返りの時間が設定されたこともあって、ですね。いま世界中で起きているさまざまな環境問題はどこかで繋がっていて、その中には「海」に関わるものがたくさんあると私は思っています。そうしたことを考えるのは、未来を担う上で大切なことだと感じますし、実際に私のグループでも話題になりました。他の教科でも環境問題は取り上げられるけれど、授業以外で話すことはとても良い機会なのではないでしょうか。環境問題にしても、そして気仙沼が経験した東日本大震災にしても、「誰かと話して意見を交換して未来を考える」って、とっても大切なことだと思いました。」(Eさん)

ファシリテーターを担った高校生たちの言葉の基底にあるのは、「難しかった」という素直な感覚と、それでも工夫し手応えがあったという、穏やかな振り返りの視線でした。海への思いを交わし合う、こどもサミット。そこから生まれてくるのは、実はなによりも、「もっと海のことを話し合いたい」という熱なのかもしれません。

取材・文:
3710Lab