レポート

東京大学教育学部附属中等教育学校

DVD「海と人と」完成ー映像による授業/授業による映像

2016.09.08

学校地域ものづくり海洋教育

東京大学教育学部附属中等教育学校にて行われた授業「課題別学習《海(Sea)》」の全貌をまとめたDVD(二枚組)のご案内。

DVD「海と人と」

「海と人との関わりを探る:記憶を記録する」をテーマに、2015年4月から1年を通して東京大学教育学部附属中等教育学校にて行われた授業「課題別学習《海(Sea)》」の全貌をまとめたDVD(二枚組)が完成しました。

DISK1には、生徒が制作したドキュメンタリー映画全21本を収録しています。生徒それぞれが海にまつわるテーマを設定し、沖縄の方々へのインタビューをもとに制作した映画です。
DISK2には、授業の風景や過程を記録したドキュメンタリー映画『課題別学習』(監督:福原悠介)、東大大学院教育学研究科の教授であり、当時の東大附属校長であった小玉重夫氏への授業についてのインタビュー映像、授業の実践内容と成果報告として行った「第3回東京大学海洋教育フォーラム」の記録映像を収録しています。授業の概要については、以下のレポートを参照ください。「撮ること、撮られること(前編)(後編)
この授業にご興味ご関心をお持ちの方には、DVDの配布もしくは貸し出しをすることも可能ですので、お気軽にお問い合わせください。問い合わせ先、info@3710lab.com

ジャケット及び盤面デザイン:nottuo 鈴木宏平氏

以下に、この授業の協同運営者であり、ドキュメンタリー映画『課題別学習』の福原悠介監督による制作ノートを掲載します。制作ノートは「第3回東京大学海洋教育フォーラム」のパンフレットにて掲載されたものです。


映像による授業/授業による映像

福原悠介(映画『課題別学習』監督)

東京大学教育学部附属中等教育学校で2015年から2016年にかけておこなわれた授業「課題別学習海」。その授業風景を記録した映画『課題別学習』は、教材や資料映像、あるいはPRビデオではありません。テロップでの説明や、BGMもありません。授業マニュアルのようなものにも、なっていません。
はじめは監督の私自身が、「撮りたいもの」を探しながらカメラを回していました。「沖縄の方にビデオカメラを使ってインタビューする」という目標をかかげた授業のなかで、「練習」として生徒同士で撮る/撮られる体験をする彼らの姿を、また別のレンズを通して見て、そこに何か豊かな時間が流れていることは実感できました。しかし、実際のところそこに映っているのが何なのかは、自分でもよくわからないままでした。
夏も終わりのころだったと思いますが、ある日、帰りのバスで課題別の生徒とたまたま会いました。学校から新宿まで向かう短いあいだに、すこし会話を交わしました。私は、彼のすがたが、いつもの授業とは全然印象の違うことに驚きました。
教室とバスのなかでは「別人」である彼のすがたを見て考えるうち私は、映画における「演技」について書かれた、ある文章を思い出しました。
“わたしは、ふと思ったりするのです。
「演じる」ということは、どこかでその人を「吟味」にかけることなのではないか、と。
演じる人と演じさせる人との、「対話」を生みながら、互いの存在の「吟味」がおこなわれるのかもしれない、と。
ですから、演ずる人は、演じた後に、きっと演ずる前よりはなにか違う自己を獲得していくのではないか、と。
それはきっと、演じさせる立場の人にとっても同じなのかもしれませんね“
(濱口竜介・野原位・高橋知由著「カメラの前で演じること」 小野和子から濱口への私信より)
授業の最初のほうで、生徒たちに見てもらった映画があります。『なみのおと』という、東日本大震災で被災された方たちの対話をとらえたドキュメンタリーです。
前出の文章は、『なみのおと』の監督である濱口竜介に、東北で長年民話の採訪をつづけ、多くの語り手たちの聞き手となってきた小野和子さんという方が書き送った私信からの引用です。この文は、いわゆる劇映画を前提に書かれたものですが、私はそこに、学校での授業にもつながるものを感じました。
例えば、ここで書かれている「演じる人」が<生徒>で、「演じさせる人」が<先生>だったとしたらどうでしょうか。教室は一個の舞台、あるいは(まさに)映画の撮影現場にあたるでしょう。そのとき<授業>とはつまり、生徒と先生が「対話」し、互いの存在を「吟味」する機会、ということになるのではないか。そして一年間の授業を経たとき、生徒たちは「演ずる前よりはなにか違う自己を獲得していくのではないか」——
そう考えたとき、バスのなかで会った彼がなぜ「別人」であったのか、すこしわかったような気がしました。教室という舞台で彼は、自分自身でありながら同時に誰かを「演じて」いたのではないだろうか、と思ったのです。
場合によっては単なる抑圧でしかない学校というものが、この授業ではしかし、先生の熱意とカメラという機械によって、むしろいっときの自由を与えてくれる場になっていたように感じます。舞台に公演があるように、「課題別学習」という枠組みによってこそ、彼らは演じることをいわば許され、単に自分自身であることを超え出て、別様な存在に変化していくことができたのではないでしょうか(それを「成長」と呼ぶのは、大人からの言葉づかいに過ぎません)。
私がはじめ、撮影を進めながら感じとっていた「豊かな時間」とは、生徒たちが演じ、先生が演じさせている教室の光景、つまりは「授業」そのものだったのではないかと、いまは思います。それを映像におさめることができたのは、とても幸運なことでした。
この映画を可能にしてくれた、東大附属の福島昌子先生、東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センターの田口康大さん、戸惑いながらもカメラのまえに立ってくれた「課題別学習《海(Sea)》」の生徒たち全員に、心から感謝します。
『課題別学習』という映画がやろうとしたのは、教室を舞台に演じられる「フィクション」としての時空間をこんどは映像的な「ドキュメンタリー」として再構成すること、「映像による授業」を「授業による映像」でとらえ直す試みだったと私は考えています。

文:
田口 康大
掲載文:
福原 悠介