レポート

それぞれの学び、それぞれの存在論(後編)ー第3回全国海洋教育サミット

2016.02.23

学校地域探究学習海洋教育

2015年12月5日(土)、東京大学本郷キャンパスの安田講堂で行われた第3回全国海洋教育サミットの前編レポートに引き続いて、小中高の生徒たちによるポスター発表の様子をレポートする。 そこには、時にきれいに飾られてしまう「教育」とは異なり、生徒たちの未だ言語化しえず試行錯誤の過程にあるがゆえの迷いとともに、純粋にして確かな探究の姿があった。「教育」という枠組みにとどまらず、主体的に未来を展望していく生徒たちの姿を贈る。

海から吹くやませを模型で再現する小学生

まず最初に話を聞いたのは、岩手県洋野立中野小学校の6年生の発表。中野小学校は教育課程特例校として、特別の教科「海洋科」を設置し、個人の関心に基づいたテーマを2年間研究し、児童が卒業論文を書くという試みをしている(参照:先人たちの知恵を辿るー特別の教科「海洋科」)。今回は、「地元の漁業」、「やませの発生」、「ホヤの生態」についてである。特に、詳しく話を聞くことができた「やませ」について話したい。やませは、この地方特有の冷たい風である。海から山に吹き付け、濃霧と冷害をもたらす。

やませがなぜ生じるのか?

そこに疑問を持った児童は、お父さんのタバコの煙をやませに、白熱灯で温めた模型の山を自身が住む大地に見立てた模型をつくり、白熱灯の有無などの温度条件を変えて実験をすることで、相対的に冷たい空気(この場合やませに見立てたタバコの煙)がどのように動くかを観察した。実際には、この実験はやませの発生メカニズムとは厳密には異なる部分もあるのだが、この観察過程と、やませを調べることで得たものが、本人にはあるはずだ。私は「こういう実験や調査をして、何か自然の見方が変わりました?」と尋ねてみた。私の尋ね方が抽象的だったせいか、児童はポカンとした顔をしたものの「やませは、あんまりよくないものだと思っていたけど、それだけではないこともわかりました」と言う。やませがもたらす冷害対策として、この地域ではハウス栽培が行われているが、逆にその寒さを活かしたほうれん草の栽培も行われているそうだ。


乱流を水槽で再現する中学生

次に話を聞いたのは、逗子開成中学校3年生の「乱流班」。この班は、東京大学海洋アライアンス機構長の日比谷紀之教授の出前授業を受講し、そこで取り上げられた乱流について興味をもった有志だ。受講後、独自に乱流について調べ、その後日比谷教授の研究室を訪問して質問をし、さらに、自分たちで実験をしたいと思いたったという。

乱流とは海水の上層と下層の間の面が波打つような現象だそうだ。彼らは、上層と下層に別の色で着色された水を使うことで、上下の境界面を可視化した。乱流は海中の海山付近で起きるということで、水槽に石を置いて山に見立て、その石を動かすことで波を起こした。結果、乱流は水槽中で石の上方に生じ、海中の乱流が再現された。今回は、それを動画に収めただけだし、本来大きく動きはしない海山のモデルである石を、便宜上、動かすことで波を生じさせているので、波を生じさせる機構を確立したり、乱流を「数値化したい」と語った。私なりに彼らの今後の目標を抽象化すると「実験の安定性と再現性、定量性を改善したい」ということだ。
いくつか質問をしてみた。
「乱流は、なぜ生じるんですか?波で生じるということだけども、生じやすい時期とか、あるんですか?」
「乱流は、地形と月の引力が関係しているので、すみません、予想ですけど、月と地球の位置関係によって、生じやすい時期があるんだと思います」
「なるほど。ところで、どうして乱流を研究したいと思ったの?日比谷先生の授業がきっかけということだけど、なんで面白いと思ったのか?というか」
「うーん、と」
「えと、つまり、この乱流は何に関係してるのですか? これが起きることで、自然環境にどんな作用があるのか、とか」
「乱流がおきることで、海中の上層と下層の水が混ざり合うということが起きます」
「なるほど、それは生態系に関係ありそうですね(以前の記事参照)」
「はい」
「こういう実験をやってみて、研究者になりたいとか、思いました?」
「あ、はい。おもいました」
「そうですか。ありがとう。おもしろかったです」


沖縄でドキュメンタリーを作る高校生

次に話を聞いたのは、東京大学教育学部附属中等教育学校の3、4年生の研究(中高一貫校のため中学3年、高校1年生にあたる)。ドキュメンタリー映画製作を手法として用いた地域社会研究、課題別学習「海(Sea)」である。この学校には、3710Labメンバの田口が授業の計画運営および実践者として参加している。実際に話を聞いたのは、幾つかのグループのうちの1つ。

「海(Sea)」では、「海と人と・・・」に続くテーマを各人の関心に基づいて設定する。このグループの発表では「海と人とマングローブ」、「海と人とウミガメ」、「海と人と生命」などについての発表が行われた。他には「海と人と戦後の音楽」、「海と人と抵抗」、「海と人とお墓」などがテーマとなっている。これらのテーマに基づいて、沖縄にてインタビュー撮影を行い、一人一本のドキュメンタリー映画製作を行うことが授業の目的となる。この授業では、「記録すること」のみならず、事前の実習で生徒同士がインタビューをすることで「記録されること」も体得することが狙いだ

生徒たちに、このような体験を通して、世界の見え方が変わったかどうかを尋ねた。
「実際に沖縄に行ってみたら、思っていたのと全然違ったんです。現地の方のお宅に泊まったんですけど」と、一人の女子生徒が言う。
「違った、ということは、逆に今までの沖縄をどんな風にみてたのかな? なんというか、カタログやテレビなんかで見た沖縄が、ショーケースに飾られているようなものに感じられるようになった、それがわかった。そういうこと?(伝わるだろうか…)」
「そんな感じ、かもしれないです」
「僕もこの前行ったんだけど、沖縄の人って、あんまり海で泳がないらしいし、そんなに周りの海をキレイだとも思ってないみたいですよね」
「あ、「この辺の海、別にキレイじゃないよって」言ってました」
「田口先生は、ちゃんと授業してるの?」
「(周りの生徒と目を合わせながら)冗談みたいなことばっかり言ってます」
(一同 笑)

田口曰く、実際に研究書などの文献を調べて現地に行くと、現地の人の実感と文献の記載に違いがあることも多いという。現地の人が持つ常識が一様ではないこともあり、そのような時、何を事実とするか、生徒は困惑する。それを、どう受け止め、どのように記録し、表現するのか。その過程が、ドキュメンタリーとなる。
3月21日には、生徒が作成したドキュメンタリー映画や授業風景のドキュメンタリー映画の上映会が行われる(イベント詳細)。


水棲生物を模した船の高速化をする高校生

逗子開成高等学校 物理化学部理科工作班である。この工作班は横浜国立大学海洋空間のシステムデザインカップ「ひれ推進コンテスト」に参加した際に作成した模型船について報告した。
http://www.shp.ynu.ac.jp/cup/
2015年夏の大会では、3年ぶり2度目の優勝を果たしているようだ。
http://www.zushi-kaisei.ac.jp/news/2015/08/post-327.html
ルールは、乾電池などによる3V以内の電源による動力を持ち、スクリューを使わない模型船を使うこと。この条件で作成された模型船が、その速さを競う。

高校生が見せてくれた船は2つ。1つは、まっすぐ走るために船の形状とヒレを付ける角度を工夫したもの。もう一つは、ヒレの基部付近に関節を模した構造があり、その部分をリモコンでコントロールして推進方向を調整できるもの。
「何か特定の魚類を参考にしたんですか?」と聞くと、「そういうわけではないが、魚類が水中で推進力を得る機構をヒントにしている」とのこと。いわゆる、バイオミメティックス(生物模倣技術)だ。近年産業的にも注目されるようになり、学会所属の研究会も存在する分野。筆者も、学部生の頃に受けた「生物デザイン論」という授業を思い出し、懐かしくなった。
人工のヒレは、硬い素材と柔らかくてよくしなる素材を組み合わせ、もっとも推進力を得られるものを計算したという。もはや、筆者にはその計算は分からない。

「君たちみたいなことをしてる高校生って、どういう学部に行きたいの? 工学部や理学部生物、生命情報学とかの分野もありうると思うけど。」
「学校の友達も、本当に色んな人がいて、自分も色んなことに興味があって、迷ってます」
「そっか。なんていうか、いい青春してると思う。今度、是非、実際に水の上を走ってるところを見てみたいです」
「はい。今日は、映像を持ってきています」
実際に見せてもらった映像は、本物の魚が泳いでいるかのようであった。


純粋な探究心と制作意欲、迷い

このように、結果、私の危惧をよそに、生徒たちはそれぞれの観点から、研究をしていた。ショーケースに飾られたような風景ではない、実際の土地に足を運び、現地の人と会話をしたこと。課題の難しさゆえの未完成さと、しかし、妥当な展望。純粋な探究心と制作意欲。迷い。どれもこれも、御誂え向きでは、ない。本人たちがまだ言語化し得ていない部分もある。もしくは、体得はしているが表現するための専門用語を知らない、ということもある。いずれにせよ、ちょっと何かを投げかけてみると、反応がある。今後、学びが結晶化していくためのコアは、すでにあるように思えた。

本来、テーマは海でなくても良いのだろう。ただ、「自然」というよりは具体性があるし、島国である日本の人々にとっては、海は相対的に身近な存在と言える。子どものうち、若いうちというのは、ちょっとしたきっかけと環境さえあれば、勝手に学ぶのではないだろうか。その「きっかけと環境」をつくることが、この海洋教育の仕事ではあれど、そもそも、生徒たちには、学びのポテンシャルがあるのだろう。その自発性を奪わない方法論 = “How” が必要。そういうことだと思う。

また、Howの構築に力を注ぐ、ということは、自発性を損なわないために重要なことなのかもしれない。何を探求するか、それは、生徒個々人が考える。そこに、自発性がある。しかし、学びの場の提供者、もしくはオブザーバーは、そのためのHowを提供する。とっかかりを得るための型、クオリティを高めるための型、いずれ破るための型。それらを、プロジェクトの残りの期間で構築してもらいたいと思った。私にも、まだ答えはないけれども。
シンポジウムの最後に、田中教授が言っていたことだが、私も最後に、それに賛同したい。次回は、発表を聞きに来た教育関係者と生徒だけではなく、全国で独自に学んでいる生徒どうしが、話をして、交流できると良いと思う。「海」を介した学び合い。次回は、それを見てみたい。

前編はこちら

取材・文:
菅野康太